小さな蟻の穴(切り口)からいい循環をつくりだそう
社会構造が複雑になればなるほど、一つの物事では、何も動かないような気がして、やってみる前に諦めてしまう人が多い。何かやろうとする人が現れても、「それだけではだめだ」 と話が広がるばかり。話の話になって、総論賛成、各論反対で何も進まなくなってしまう。
実は複雑に多くの力が絡まっている社会であればあるほど、そのひとつのバランスが崩れるだけで、全体に影響があらわれる。天秤の両側に、10tずつの砂が乗っていると創造してほしい。この10トンの砂を全部動かそうとすると、一人の力では動かすことはどう考えても無理だ。しかし、片側に60kgの人が飛び乗っただけでも、それだけで少し傾く。勢いよく乗ったらなだれをおこすことさえできる。
実はバランスが取れているように見える社会は、ひとつの固体ではなく、多くの要素(砂)でできているのだから、実は不安定であり、変革しやすいのだ。マスメディアが発達をし、情報が氾濫することで、「自分が何ができるのか」 ということを忘れ、「日本(世界)はどうなっているのか」ばかりにどうしても関心が行ってしまいがちだ。現状を評論し嘆くことでは何も始まらない。私たちを取り巻くそれぞれの分野でいい循環をつくりだすことから始めたい。
− 香川の教育 −
「学校はどうなっているのだ」
「教育は、教師は、教科書は…」 と、何か事件がおこるたびに犯人捜しが始まる。知識偏重、受験戦争の弊害が叫ばれても、何も変わらない。聞いて驚いたが、香川の高校の中途退学率は全国一と言う。なかでも私立高校のそれは7%で実に15人に1人に及んでいる。
教育は一人一人が社会の中で生きていく力を与えるための基礎を与えるもののはずだ。その役割を果たしているとはとても思えない。大学に入れるために教育があるのではないはずだ(その大学を出て就職というコースも大波で破綻しかかっている)。いまこそ、原点に帰ってみてはどうだろう。その切り口は受験教育の中で切り捨てられてきた物の中にあるのではないだろうか。
たとえば、全県統一入試で成績や内申書で 「いい学校・悪い学校」 を振り分けるのをやめることを、農業・水産高校での独自入試の実施からはじめてみてはどうだろう。
自然が好き、動物が好き、花が好き…という動機だけで様々な関心や才能の子供たちが農業高校に入学してくる。その関心や適性、能力を見極め育てながら、百の姓(職業)にふさわしくあらゆる可能性を子供たちに見つけることができるはずだ。バイオ・遺伝子工学・獣医・技師…、あるいは実地に農業につくための実践など、農業高校に行くことで、自分の関心や希望の中で生涯の進む道がみつかるということが、できるようになるはずだ。大学だって、農学部・農大・畜産大など、責任を持って進学させることができるはずだ。
一見遠回りに見えても、職業教育(就職のためではなく、その職業の中で生きていくための教育) が生き生きとしてくることが、今の教育の価値観を変えていくようになるのだ。同様に商業高校を普通高校に変えて、普通高校の序列のどこかに取り入れても、何も生まれないどころか、同質競争の中で、更なる矛盾を抱え込むことにしかならない。
さらに中高一貫教育は受験のためでなく、将来の芸術の創造(音楽・美術)・工芸・技術の伝承(マイスター)のためにこそ考えたい。坂出・高松一高校音楽科や高松工芸高校・工業高校こそ、それにふさわしい。
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