徳行寺沿革
1,宗派
   浄土真宗本願寺派(西本願寺)
2,宗祖
   親鸞聖人(1173〜1262)
3,本尊
   阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
4,開基
   1601年 了念による

本堂西側
山門 徳行寺は、はじめ真言宗の寺であった。室町時代可部町域では、福王寺の勢力が強かったことから考えると、その末寺であったことが考えられる。当時徳行寺の住職は、境内にあった惣社大明神の別当職をかねていた。
 その後16世紀初め頃から仏護寺(現在の広島別院)を中心にして安芸の国に浄土真宗が広まっていった。武田氏に保護されていた浄土真宗も大内氏に武田氏が滅ぼされて危機を迎えるが、その後毛利氏に政権が移行してからは、太田川流域を中心に教線は拡大していった。
内陣
徳行寺は関ヶ原合戦の次の年、寺町の報専坊で教学を学んだ了念が、それまで真言宗であった徳行寺を浄土真宗に改宗した。そのころには、惣社大明神も衰え、別当職であったということは伝えられていない。
 徳行寺は、正徳2年(1712)浄土真宗に改宗された誓立寺とともに、この地の人々に支えられてきた。
 明治政府は、明治5年(1872)宗教を利用して民衆を教化するために教導職を設置した。当時の徳行寺第12代住職藤峰徹心は明治13年教導職権少講義まで昇進した。徹心は明治12年鹿児島監獄の教誨師となり、終生受刑者の保護教化に当たった。現在惣社大明神の前に残っている銅像の台座は、藤峰徹心の業績をたたえ、建てられたものである。上部にあった銅像は、戦時中に供出されて今はない。
 昭和18年第13代三ヶ本義映が住職の時、事情によって寺を現在の地に移した。本堂は、明治28年に建てられたものをそのまま解いて、現在の所へ移築し、庫裡は、鈴張にあった民家を買い取って移築した。移転にかかった費用は、およそ2万円であった。.

※参考 可部町史