わたしにはわからない;民法改正をめぐる議論

    昨年前半は、「選択的夫婦別姓」についての議論が一部で(残念ながら

   一部で)盛んであった。私自身は、職場で旧姓を使いながら、納税書類

   と特許出願とはやむなく戸籍姓を使うという不自由な二重姓の生活を送っ

   ているため、期待をもってことの経緯を見守っていた。結局のところ、

   議論に決着がつかず改正にはならなかった訳だが、改正反対派の声は、

   どうにも理解できないものであった。

   江戸時代まで、ほとんどの人間が名字など持たなかった日本において、

   「別姓を認めることは日本の伝統文化の破壊につながる」などとおっしゃ

   る方々は、単なる事実誤認だからまあよい。「子供がいじめられるのでか

   わいそう」という意見に対しては、「そういう横並び社会をなんとかしな

   いと日本は世界から取り残される」、と言いたいが、過渡期には確かにそ

   ういう心配もあるだろうから、気持ちはわからなくはない。

    わからないのは、「結婚して夫の姓を名乗ることに憧れを持つ女性も多い」

   というご意見。もちろん、そういう女もいるだろう。だが、そうでない女も

   いるから「選択的夫婦別姓」にしよう、と言っているのに、何を考えてい

   るのか。「別姓を望む人はごく一部だ」という反対意見もあった。「一部

   だとしたら、あんたには関係ないのだから好きにさせて」と言いたい。反

   対する本人の利害とは全く関係のないところで、表面、道徳的に話をされ

   るのでわかりにくくて仕方がない。

    逆に大変わかり易かったのは、「別姓を認めると、別姓を選ぶこともせず

   仕事にもついていない女性が、『遅れた女性』という雰囲気になってしまう」、

   というもの。もちろん、そういうことも起こるだろう。特に都市部では。

   この心配はごもっとも。だが、本人が好きで選ぶのなら、他人の目など気に

   したって仕方がないではないか。旧姓を使っている私だって、いろいろ言わ

   れながら好きでそうしているのだから。むしろ、堂々と「私はこっちの名字

   の方が好きだったの」とでも言えばいいのに(昔、ユーミンもそう言ってい

   た)。

    民法改正をめぐる一連の議論は、結局のところ、何もかもお上に指図された

   い日本人の気質がむき出しになっていたように思う。せめて、実力勝負のビジ

   ネスの世界からは、「結婚したのだから、ご主人の名前を名乗りなさい」な

   どということが、一日も早くなくなるようにしたいものである。

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