四日市港にちなむ史跡

 江戸時代、四日市というと、東海道の宿場町としても有名ですが、海上交通の要衝としても栄えました。尾張熱田・四日市間の航路などが主な航路だったようです。幕末の安政の大地震で港がだめになり、その後明治時代に四日市旧港が築港され、四日市発展のもととなりました。この四日市港にも史跡があります。

稲葉三右衛門銅像(JR四日市駅前)
四日市港にちなむ史跡
四日市旧港湾施設
稲葉三右衛門翁顕彰碑(高砂町) 波止改築記念碑(高砂町) 潮吹き防波堤(大協町一丁目)
思案橋(浜町)
富田港にちなむ史跡
富田の一本松(東富田町) 宝井其角句碑(富田浜町) 巌谷小波句碑(富田浜町)

四日市旧港湾施設(国指定重要文化財)

 平成8年12月に指定を受けたばかりの重要文化財です。重要文化財というと普通は、古い仏像とか寺院などのようなものを思い浮かべますが、こういう近代的な施設が指定されることもあるとは知りませんでした。港湾施設としては初めての重文だそうです。
 稲葉町・高砂町地先の、旧港の潮吹き防波堤を中心にした地域が指定を受けました。

稲葉三右衛門翁顕彰碑

稲葉三右衛門顕彰碑

所在地:高砂町

 高砂町の稲葉翁公園内にあります。明治30年に建てられた顕彰碑です。

 江戸時代には四日市の港は天然の良港でありましたが、安政の大地震で、昌栄新田の堤防が決壊し、流砂が港口を塞ぎ、港としての機能を失ってしまいました。中納屋町の廻船問屋であった稲葉三右衛門(1837-1914)は、この状況を打開すべく四日市港の修築を決意し、明治6(1873)年から工事を始めました。明治17(1884)年に完成して、今の四日市旧港ができあがりました。
 工事費は20万円で、三右衛門はこの工事で全財産を失い、また多額の借金も残すこととなりました。三右衛門が郷土の発展のために尽くしたことで、現在の四日市があるのです。

 ちなみに、旧港の稲葉町も高砂町も、稲葉三右衛門の築港工事の過程でできた町です。稲葉町は、稲葉三右衛門にちなんで、高砂町は、三右衛門の妻たか子の名前にちなんでつけられたそうです。

波止改築記念碑

波止改築記念碑所在地:高砂町

 稲葉翁記念公園から海の方へ出るとあります。
 釣りをしている人が数人いました。

 石碑の表に書いてある文字は、このとおりよく分かるのですが、石碑の横に多分碑を作った人の名前や年号などがずらずらと刻んであるような感じでしたが、文字が不鮮明で読めませんでした。

 明治27(1894)年の改築記念のための碑です。稲葉三右衛門が四日市旧港を築港しましたが、その後、四日市町が改修工事を進め、明治27(1894)年に完成しました。


潮吹き防波堤

潮吹き防波堤

所在地:大協町一丁目。

 高砂町から見て撮った写真です。

 明治27(1894)年の旧港改修の時に造られたのが、左の写真の「潮吹き防波堤」と呼ばれるものです。波が堤防に当ると、潮吹き穴から海水が吹き出たので、こんな名前で呼ばれているそうです。

 これは、御雇外国人として来日したオランダ人のヨハネス・デ・レーケ(1842-1913)の案で、服部長七が造ったものです。デ・レーケの仕事といえば、北勢地方の小中学校でよく遠足などに行く、愛知県の木曽三川にある船頭平閘門が有名ですね。

 昭和30年には埋立てられ、現在ではコスモ石油がこのように建っており、防波堤は単なる岸になっております。


防波堤のレプリカ

 右の写真は、稲葉翁記念公園にある潮吹き防波堤のレプリカです。
沖の方から、つまり港外から見ればこんな感じです。
 この防波堤の構造は、大堤・小堤という、二重に堤を構えて、その間に溝が作られ、溝から大堤の港内へ抜ける穴が作られています。
 港外から来た波を、まず小堤で受けて弱めます。それから大堤で受け止めて中間の溝にため、たまった水を穴から港内に吹き出すという仕組みになっています。