四日市市戦没者慰霊塔

忠霊塔
平和之塔

所在地:泊村
最寄駅:近鉄内部線泊駅

 この忠霊塔は四日市遺族会が昭和41(1966)年8月15日に建設したものです。泊山公園の中にあります。
 地下の霊安殿には第二次世界大戦で戦死した四日市市出身者4945人の霊が合祀されています。
 忠霊塔の説明板によれば、塔の題字は日本遺族会会長の賀屋興宣(1889-1977)が書いたものです。

 賀屋興宣は広島市の出身で、実父は国学者の藤井稜威、母は愛国婦人会幹事の賀屋鎌子。東大政治学科を卒業後、大蔵省に入省し、昭和2(1927)年ジュネーブ軍縮会議全権随員となり、昭和7(1932)年予算決算課長、昭和9(1934)年主計局長、昭和11(1936)年理財局長、昭和12(1937)年大蔵次官を経て第1次近衛内閣で大蔵大臣となりました。その後、昭和13(1938)年貴族院議員、昭和16年東条内閣で再び大蔵大臣となりましたが、戦後A級戦犯として極東軍事裁判で終身刑になりましたが、昭和33(1958)年に赦免された後、自民党から総選挙に立候補し当選しました。昭和38年には第2次池田内閣の法務大臣となりました。以後は自民党右派長老として活躍しました。

 同じ敷地内に平和の塔があります。こちらは四日市市傷痍軍人会が日本の繁栄と世界平和を祈念して、昭和52(1977)年8月に建てたものです。こちらの題字は三重県知事を勤めたことのある田中覚のものです。