杉野兵曹長顕彰碑

所在地:鈴鹿市磯山町
最寄駅:近鉄磯山駅

杉野兵曹長顕彰碑 鈴鹿市磯山町(旧・河芸郡栄村字磯山)は、日露戦争の旅順港口閉塞作戦で戦死した、杉野孫七兵曹長(1866-1904)の故郷です。
 現在、磯山駅の北、杉野の実家の敷地内には顕彰碑が建てられています。

 明治43(1910)年に東京神田の万世橋に杉野兵曹長と広瀬中佐の銅像が建てられましたが、杉野の故郷磯山町にも昭和11(1936)年に銅像が建てられました。以来、終戦まで海軍記念日である5月27日には全国から参拝者で賑わいました。
 銅像は戦時中に供出されてしまいましたが、昭和35(1960)年に銅像の台座の上に顕彰碑が建立されました。

 旅順港口閉塞作戦とは、バルチック艦隊との決戦に先立って、日本海軍が、旅順港口を閉塞してロシアの極東艦隊を旅順港内に閉じこめておこうとした作戦です。夜の闇に乗じて、百数十メートルの港口へ汽船を並べて沈めようとします。
 明治37(1904)年3月27日、杉野は志願して、広瀬武夫海軍少佐(戦死後中佐)の指揮する閉塞船福井丸に乗船します。福井丸ほか3隻の汽船が港口に近づきますが、ロシア軍に気づかれて要塞砲が砲撃を始める。ロシア駆逐艦の魚雷が福井丸を襲い、福井丸は沈み始めます。乗員はボートに乗り移り、広瀬少佐は人員点呼をしましたが、杉野がいないことに気が付きました。広瀬少佐は沈みかかった福井丸へ戻って杉野を探すが発見できずに、ボートに戻りました。ボートはロシア軍の探照灯に捕らえられ、敵弾の集中砲火を浴び、広瀬少佐は砲弾の直撃を受け戦死しました。

 その後、杉野兵曹長と広瀬中佐は軍神として祀られ、「広瀬中佐」という小学唱歌に歌われておりますし、小学校では国語や修身の教科書にも取り上げられております。

杉野兵曹長銅像除幕式記念スタンプ
万世橋の杉野兵曹長・広瀬中佐像