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自由民権期の天皇観
[未完]

 

はじめに
 
  明治十九年十月二十日
  自分事ハ大空漠中ノ小地球上ニ住居スル亜細亜州中日本国上野国東群馬郡前ハシ田中
  町五拾五番地住
                           地球上壱人
                              斎藤看園 信一−
 
 これは、群馬の著名な民権家である斎藤壬生雄・山崎重五郎兄弟の父親、斎藤看園の日記の冒頭に記されていたものです。地球をほんの小さいものとしてのみ込んでいる大宇宙を、自分のなかに意識することによって、地球上に独り立つ自己を見極めようとしているかのように読みとれるこの日記の書きだしは、看園の在野の思想家としての相貌を浮かび上がらせるものといえます。。
 看園が、地球上一人と認識した背景の一つには、大阪事件の連累者として獄中にあった息子の山崎重五郎が、1886(明治19)年7月24日に死亡したことも、関係あるのかもしれません。
 しかし、新聞や雑誌の論説・雑報・海外事情などの抜き書きによって構成されている看園の日記を丹念に見ていくと、その関心の幅の広さと、その方向には、地球上一人と認識せしめるだけの確固としたものが存在しているのは確かなように思われます。自由民権運動の全国的な景況は当然ですが、その思想・理念についても目配りがいき届いており、さらには政府側の対応(言論弾圧、法律)を詳しく拾っています。中国・朝鮮・東アジア・ロシア・ヨーロッパへの関心も強く、政治体制・社会状況から軍備の実態まで、また政治運動、革命の歴史、共和制、そして“富の偏在に対する革命”という先進ヨーロッパ諸国の新しい社会革命の動向、思想まで、さらに列強のアジア進出等々、拾う記事の幅は広い。宇宙を含む自然科学の記事も、頻繁に見えます。宗教・演劇・廓をはじめとした記事も多出します。
 新聞を自由民権運動や困民党事件の情報提供資料としてしか利用してこなかった私には、在野の一老人の目配りの確かさと、これほどに応えるものがあったのかという、新聞自体がもった意義に驚かされました。明治の人民にとって、新聞はこれほど豊だったのかと、知らされたのです。
 それはともかく、この看園の魅力については、群馬の研究者による詳細な紹介を期待したいところで、本稿の課題は、ここにはありません。本稿のテーマと看園の日記がかかわるのは、日記中にみた、民権家の天皇観を示す記事が新鮮で、その記事をきっかけに本稿のテーマでの史料紹介を思い立ったからです。
 民権家の天皇観を示す新鮮な記事とは、おおよそ次のようなものでした。
 
*東京曙新聞の記者永田蘇武の「国民自尊ノ精神」という記事が、讒謗律によって有
罪判決を受けたこと。
*その論旨は、「大臣宰相ト云フ者ハ畢竟万民保護ノ為ニ之ヲ使役スル所ノ者即チ国
家公用ノ臣僕タルコトヲ認メ云々又彼ノ神武天皇モ其始メハ日向ノ一豪族ノミト云
フ」というものであったといいます。
*看園の読んだ新聞は、「群馬新聞」明治13年8月24日号のようです。
*新聞記事の紹介の後、看園のものかもしれない感想が記されています(看園のもの
との確証は、まだありませんが)。「共和唱ル者也未タ共和ハ早キ也英国ノ如キ可然」。
 
 天皇の起原を、日向の一豪族と言い放ったことは、私には少々ショックでした。実は、この記事以前に、同様の天皇観を示す史料を偶然発見していたからです。ただそれは、民権家の演説を臨検の巡査が書き留めたもので、発言内容の信憑性に確信が持てないでいました。民権家の国家構想の機軸が、君民同治にあるという私自身の“常識”も禍して、デッチ上げの可能性を考えていたのです。ただ、永田蘇武の記事は、新史料に見られた民権家の発言内容の信憑性を高め、改めて民権家の天皇観の再検討の必要性を意識させることになったのです。
 ちょうどその頃、多摩近代史研究会主催の「憲法を考える」連続講座で、私は「憲法草稿評林」「日本憲法見込案(土佐立志社)」についての報告を行なうため、植木枝盛の「東洋大日本国国憲案」「五日市憲法」なども含めて読みかえし、前者二つに廃立の権や共和制への志向があることを確認しました。永田蘇武のような天皇観は、少数ではあったとしても、民権家の一部に確固としてあったのです。
 そのような訳で、何点かの新史料を含めて、私が興味深いと考える天皇観についての史料を紹介していこうと思います。興味深い、という点に基準を置きますので、既発表の史料も紹介するつもりです。専門家のかたにはすでに既知のものかもしれませんが、「通信」読者を中心に今後の歴史学習にはおおいに参考になると思いますので、いくつかは紹介していこうと思います。
 また、この時期の民権家の天皇観の大勢は、尊王・王道にあったと思われますが、その論理についても、紹介していこうと考えています。


T
 憲法草案の天皇観
 
 多摩近代史研究会主催の「憲法を考える」連続講座で私が担当したのは、「憲法草稿評林」と「日本憲法見込案」でした。それは、「憲法草稿評林」の発見と全文の紹介によって、そこに表れた天皇観、国家観、憲法観などに関心をもち、それと対照するようにしていくつかの憲法草案を読んでみたところ、従来一般に言われていた〈私擬憲法の最高傑作「東洋大日本国国憲按」(植木枝盛起草)〉という評価に疑問をもったからでした。むしろ、「東洋大日本国国憲按」の背後に隠れてほとんどまともな分析対象になっていない立志社の「日本憲法見込案」の憲法思想に、きわめて重要な意義があるのではないかと考えたのです。「東洋大日本国国憲按」のみを最高傑作として民権派の国家構想の頂点を見るのではなく、むしろ「憲法草稿評林」と「日本憲法見込案」に共通の憲法理念を見、両者をセットにしてこの時期の憲法構想の良質な可能性を取りだしてみるべきと思ったのでした。2つの憲法をセットにして講座を組んだのは、そのことが頭にあったからでした。
 まず、皇帝の位置づけについて「憲法草稿評林」(この草稿は2人の憲法構想が記されているので、第一評者を「憲1」、第二評者を「憲2」とする)、「日本憲法見込案」(「日」と略す)、「東洋大日本国国憲按」(「東」)、「五日市憲法」(「五」)とを較べてみよう。
 
  「五」   国帝ノ身体ハ神璽ニシテ侵ス可カラス又責任トスル所ナシ(18条)
  「東」   皇帝ハ国政ノ為メニ責ニ任セス(75条)
  「日」   国帝ハ叛逆重罪ニ因テ其位ヲ失ス(83条)
       国帝ノ親戚ニシテ帝位ニ即クヘキ権利アル者ヲ親王ト称ス其親王外ニ結婚
       シ及ヒ他国ニ転籍寄留スルコトニ由テ此権理ヲ失ス叛逆重罪ノ処断ヲ受ケ
       タル時亦タ之ニ準ス(87条)
  「憲1」  皇帝憲法ヲ遵守セス暴威ヲ以テ人民ノ権利ヲ圧抑スル時ハ人民ノ全国総員
       投票ノ多数ヲ以テ廃立ノ権ヲ行フコトヲ得ル
  「憲2」  此法律(「憲1」の規定)ハ暴君ナカラシムルノ善法ナリ
       故ニ之レヲ責ルニ廃帝ノ法則ヲ立ツヘシ
 
 「五」にみられる天皇の規定、つまり神璽にして責任なしとする立場は、天皇の最高権力者としての地位を侵すべからざる神性に求め、政治的責任は何人も一切追求しえないとするものであったいえます。このような規定は、当時の私擬憲法の規定のなかではかなり一般的で、このような立場の憲法はほとんどが、立法の最終的権限を皇帝・国帝に与えているようです。「五」も国帝に最終的な裁決権・制可権を与えており、その例外ではありません。ここには、行政府としての「政府」と、人民の代表としての「議会」が対抗する政治的図式は視野のなかにあるといえますが、「皇帝」=「政府」と、人民との対抗を基底とした国家のあり方は模索されてはいません。当時盛り上がった国会開設建白・請願運動は、天皇と人民の疎隔した状態を改善し、一致協力して欧米各国に対峙する、そのためには人民の自主自由が保証され、議会も必要であるという、上下一致・民権実現・国権確立の論理を展開するものが多かったようです。そして、公議輿論政治の実現や国会の開設を、五条の誓文や漸次立憲政体樹立の詔によって明らかにしていた天皇の意に反し、上下官民の一致を妨害する専制政府への批判論理が展開されましたが、このような国帝・皇帝観が、憲法構想のなかにも明確に表れていたといえるように思われます。
 このような天皇観、あるいは国家内部の対立図式観の対岸にあるのが、廃立の権を規定した「日」や「憲」です。廃立の権とは、人民が君主をやめさせ別の君主をたてることを意味し、「日」は叛逆重罪を犯した場合、「憲」は憲法を遵守せず暴威によって人民の権利を抑圧した場合という条件をつけて規定していました。皇帝・国帝が政治的な権力者ではあっても、その存在は神性によって正当化されているのではなく、国憲の、つまり人民の承認によって在位しえる存在であったといえます。このような立場の両憲法には、国家における基本的な対抗が、皇帝(=政府)と、人民=議会の間にあることが認識され、立法府の権限が皇帝のそれを凌駕するよう規定されていますし、「憲1」のようにいくつかの重要な問題に関しては人民投票の制度が採り入れられ、人民主権が明確化されているのです。そしてこのような認識の必然的な結果として、憲法(構想)そのもののなかに、共和制(志向)をもとめる人民の願いが盛り込まれることになるのです。
 
  「日」   此ノ憲法ハ日本立憲帝政ノ廃没ト共ニ其効ヲ失フヘシ(前文)
  「憲1」  帝位ヲ承クヘキモノナキトキハ……代議士院ノ預撰ヲ以テ人民一般ノ投票
       ニヨリ日本帝国内ニ生レ諸権ヲ具有セル臣民中ヨリ皇帝ヲ撰立シ若クハ政
       体ヲ変シ(代議士院ノ記章ニテ一般人民ノ可決ニ因ル)統領ヲ撰定スルコ
       トヲ得
 
 「日」は具体性を持っているわけではないのですが、「立憲帝政」の将来の「廃没」が公にされ、また「憲1」は帝位継承者がいないという可能性のきわめて小さい場合のことでしたが、人民投票による皇帝の選出や、皇帝の制を廃して統領制(共和制)が構想されていたのです。
 一方、「東」は、皇帝の責任は問われないという点では「五」に共通しますが、その根拠は明示されていません。少なくとも、「五」のように皇帝の神性を根拠にした無責任制はとってはいません。皇帝の存在を神的正当性にみることを明確に拒否していると思われるこの憲法は、無責任制をとっているとはいえ、議会と皇帝の権限においては、議会の優位性を確保しています。その点では、「日」「憲」と同一の立場に立っています。
 ただ、この憲法の問題点はそれほど小さいとは思われません。この憲法が高く評価される場合、常に引き合いにだされるのは、その地方自治規定と抵抗権・革命権の規定です。しかし、抵抗の対象は、官吏であり、政府です。革命も新政府樹立権として規定されたものです。皇帝は政治的責任を問われないとする規定は、「憲法上の革命」においては、行政の長を除外するという奇妙な革命とならざるをえません。この矛盾は、「日」にみられるような、当時にあって根源的で急進的なラジカリズムを隠蔽し、皇帝のもとでの立憲国家構想の最善の策として出されたものとみるべきなのか(政治的判断による、憲法理念の隠蔽)、あるいは独自な論理として展開されたものなのか、「日」との関連を考える上でも重要と思われます。(皇帝の権限を議会によってチェックするシステムは、より「東」に徹底しているように思われますので。)
 
(注)最後に憲法起草運動にとって興味深い事例を紹介しておきます。「はじめに」でふれた看園の日記(明治19年10月7日ヨリ)のなかに、見光社(燈新聞の発行所)が出した明治十九年十一月の憲法案懸賞広告が載っているのです。「右ノ論文ハ明白ノ楷書ニ認メ来ル明治廿年一月廿五日迄ニ本社ニ達スル様送付セラルベシ……」とし、入選・公表の価値あるものは、本誌の付録、あるいは小冊子で刊行するという内容でした。見光社の実質的な持ち主だった星亨には、明治19年12月刊行の『国会要覧』という憲法構想に近い著書もあり、またこの時期自ら憲法草案を起草しているので、星の政治戦略とのからみで考えてみることもできますし、あるいは政府の秘密裏の憲法起草に対する民権派のきわめて重要な対抗として考えてみることも可能でしょう。
 


U
 東京曙新聞の社説「国民自尊ノ精神」
 
 憲法草案に見られた廃立権や共和制志向が、どのような論理を前提にしていたのかを、いくつかの史料紹介をつうじて明らかにしておこうと思います。まず、「はじめに」でふれた「国民自尊ノ精神」の紹介と簡単な分析からはじめます。
 これは、東京曙新聞の明治13年8月2日号(第 247号)の社説欄に掲載されたもので、無署名。当時の「社長兼印刷」は岡本武雄、「仮編輯長」は永田蘇武、発行所は朝陽社。(「はじめに」で永田蘇武が執筆者であるかのような書き方をしましたが、新聞を調べた結果、執筆者は確認できませんでした。永田蘇武が仮編輯長なので執筆の可能性が大きいと思われますが、讒謗律違反は「仮編輯長」として新聞掲載の責任を取らされたものとも考えられますので、ここでは執筆者不明としておきます。)
 
   〇国民自尊ノ精神
宇内万国各其政治ノ体裁ヲ殊ニシ随ツテ各種政治ニ彼此長短優劣ノ差ヲ同フセズ唯立憲政
体ヲ推シテ最良至善ノ政体ト為ストハ是レ三尺ノ童児モ亦之ヲ知ラザルナキノ套語タリ然
ルニ此立憲政治ニ不可欠ノ精神アリ苟モ一国人民ノ多数若クハ其国民中ノ先進者ガ此精神
ヲ有スルニ非ザレバ真正ノ立憲政治ハ決シテ立ツコトナシ仮令一時形容ダケノ立憲政体ヲ
設ケテモ此精神無ケレバ該政体ハ倏チ立チ倏チ倒レテ乱離騒擾歇ムコトナク国民ヲシテ尊
栄ノ実ヲ享ケシムルコトヲ得ズ如是キ先例ハ各国ノ経験ニ徴スレバ歴々トシテ明カナルヲ
以テ今敢テ爰ニ贅演セズ
所謂立憲政治ノ精神トハ何者ゾ無他国民自尊ノ精神即チ是ナリ詳ラカニ之ヲ言ヘバ自尊ト
ハ躬自ラ尊重スルノ義ニシテ大凡ソ一国ノ人民ハ万民同等タルコトヲ認メ彼帝王ト云ヒ大
臣宰相ト云フモノハ畢竟万民保護ノ為ニ之ヲ使役スル所ノ者即チ国家公用ノ臣僕タルコト
ヲ認メ然ル以上ハ国民ノ位地ハ正ニ君主帝王ト対峙スル者タルコトヲ確認シ凛然自ラ己レ
ノ体面ヲ保存尊重スルノ精神是レ也此精神ト彼帝王ノ慾望君主ノ野心トハ決シテ相容レズ
顧ルニ古来各国雄才大略ノ君主ハ固ヨリ言フ迄モナク之レヨリ降リテ暴君驕主カ其野心ヲ
肆ニスル所以ノ者ハ必ラズ先其民ヲ愚ニスルノ秘訣ニ由ラザルハナシ支那歴代ノ皇帝其尊
厳ヲ天神ニ比シ天子ノ言語動作ヲ目スル天神ノ言語動作ニ均シク其国土ト人民トヲ挙テ天
子ノ奴隷私有ト同視スルニ至ル欧洲諸国モ亦昔時ニ在テハ君主ヲ視ルコト神ノ如ク帝王ノ
特権ヲ指シテ之ヲ神権ト称シ君主ノ意思ハ即チ天神ノ意思ト一般ノ看ヲ做セリト云フ我日
本ノ如キハ帝家ノ尊厳殊ニ万国ニ冠絶シ全国人民ノ天家ヲ瞻ルコト大(ママ)陽ノ如シ蓋シ
各国人文未タ開ケザルノ世ニ在テハ材徳智力衆人ノ上ニ卓越スルノ英雄俊傑起ルアリテ社
会ノ為
ニ其乱ヲ撥メ(カ)其正ニ反スハ自然ノ勢ニシテ各国皆然リ各国ノ所謂先世ノ英主ト
カ古代
ノ聖帝トカ称セラルヽ人々ハ即チ此種ノ人ニ非ルハナシ此種ノ聖帝英主ガ撥乱反正
ノ功跡ト其
法ヲ制シ教ヲ設ケタル勲業トハ挙テ之ヲ天命神意ニ託シテ以テ其事ヲ神変不可
思議ナラシ
ム無他当時社会ノ耳目ヲ眩殺セシメテ以テ社会ノ擾乱ヲ未発ニ制伏センガ為ニ
スルノ権略
ノミ然ルニ此権略ハ識ラズ知ラズ社会ノ耳目ヲ圧倒シ去リ竟ニ社会ヲシテ君主
ヲ仰クコト
天ノ如ク神ノ如ク君主ト人民トハ全ク是レ別種ノ人ト為スニ至ル其妄想迷認モ
亦甚シカラ
ズヤ人民既ニ此妄想ニ陥溺シテ自ラ其妄想タルコトヲ覚ラズ此ニ於テカ歴代ノ
君主ハ此妄
想ヲ以テ無二ノ奇貨ト為サヾルハナシ君主若シ賢明ナレバ即チ此妄想人民ヲ犠
牲トシテ以
テ富国強兵ノ勲業ヲ立テ万骨ヲ枯ラシテ以テ一君ノ功名ヲ千載ノ下ニ伝フ君主
驕暴ナレバ
即チ此妄想人民ヲ犠牲トシテ以テ究奢極慾ノ資ニ供シ億兆ノ膏血ヲ絞リテ以テ
一君ノ驕侈
ヲ逞フス故ニ君主ノ賢愚明暗如何ニ拘ハラズ此妄想人民ガ君主ヲ神明視シテ以
テ之レガ犠
牲ト為ルノ事実ハ枚挙ニ遑アラザル也有名ノ英主タル仏王路易第十四世ガ国ハ
即チ我ナリ
我ガ無限ノ神権ヲ握ルハ固ヨリナリト称シ又普王普烈徳力ガ普国人民ハ唯国王
ヲ神トシ仰
クコトヲ知ルノミナレバ余ガ人民ヲ鄙視スルモ彼ハ決シテ之ヲ怨ミテ叛乱ヲ起
スノ患ナシ
ト称セルガ如キハ君主自ラ妄想人民ヲ奇貨トスルノ心事ヲ白状セルモノニシテ
之ヲ要スル
ニ今古ノ帝王ガソノ民ヲ愚ニスルノ秘訣ヲ以テソノ韜略ノ奥義ト為スハ明カナ
リ何トナレ
バ如此ナラザレバ即チ以テソノ野心ヲ逞フスルヲ得ザレバナリ今夫レ国民ソノ
君主ノ愚ニ
スル所ト為リテソノ帝王ヲ視ルコト天ノ如ク神ノ如ク一般人民ハ天地開闢ノ始
メヨリ臣タ
リ僕タリ卑賎タリ帝王ハ即チ之ニ反シ天日ノ子ナリト云ヒ天帝ノ孫ナリト云ヒ
万世万歳ノ
末マデモ君タリ王タリ尊貴タリ故ニ君主ト人民其一尊一卑ハ元来天然不易的ノ
階級ニ出ル
者ト妄想スル間ハ決シテ自尊ノ精神ナシ若自尊ノ精神アル時ハ必ス此妄想ナシ
此妄想ト自
尊ノ精神トハ其相反スルコト氷炭水火啻ナラズ彼英米人民カ宇内万国ニ率先シ
テ一人自主
ノ尊栄ヲ占メタル所以ノ者ハ他ニ非ズ自尊ノ精神先ツ其先進人民ノ脳底ニ湧出
シタルヲ以
テ也自尊ノ精神一タビ湧出スレハ即チ宇宙ノ間唯正理ヲ除ク外ニ復タ畏ルベキ
者無ク正法
ノ外ニ復タ服スベキ者ナシ而シテ国民ノ国民タル本位本分ハ実ニ同等ノ尊栄ヲ
享用スルノ
権理アリ君主帝王ナル者ハ特ニ国民ヲ保護スルノ公僕タルコトヲ認メ得テ分明
ナルカ故ニ
君主若シ非理ノ威力ヲ逞フシテ之ヲ国民ニ加ヘントスルモ国民ハ決シテ之ヲ容
レズ否国民
カ之ヲ容レントスルモ国民ノ頭脳ヲ支配スル所ノ自尊ノ精神ハ決シテ君主ノ非
理ヲ容レズ
君主ノ非理既ニ容レラレサレハ即チ何等雄才大略ノ帝王アリト雖モ決シテ其野
心 (アム
ビシヤスマインド)ヲ逞フスルコトヲ得ズ況ンヤ暗君暴主ヲヤ故ニ曰ク国民自尊
ノ精神ハ決シテ君主ノ野心ト相
容レズ復タ決シテ並ビ立タザル也ト
普烈徳力大王言アリ曰ク王者若シ貪功ノ性質ナラバ其性ヲ枉ケテ苟モ臣民ニ従順スベカラ
ズ看ヨ余ハ即チ貪功ノ性質ナリ曩キニ若シ余ヲシテ此性質ヲ屈シテ臣民ノ為ニ抑制セラル
ヽコトアラシメバ余ハ今日ニ至ル迄ニ争テカ此大功業ヲ立ルヲ得ンヤ夫レ正理ハ人類社会
ノ貴重スル所ナリ然レトモ帝王万乗ノ尊ニ居リナガラ単ニ正理ノ為ニ制セラレテ区々タル
縄墨ノ範囲内ニ一生ヲ経過セバ仮令貪暴ノ詆ヲ免ルヽニ足ルモ誰カ復タ個ヲ目スルニ英雄
俊傑ヲ以テスル者アランヤト抑天下何ノ世カ何ノ国カ普烈徳力大王ノ如キ英主ノ起ラザル
ヲ保タンヤ之ヲ其未起ニ制御シテ以テ国民ノ尊栄ヲ其未壌ニ保安スルノ策ハ唯立憲政体ニ
在リ然リ而シテ此政体ハ国民自尊ノ精神アルニ非レバ即チ其実効ヲ奏スル能ハズ嗚呼我日
本人民モ亦同等天賦ノ権理ヲ固有シ尊栄ノ位地ヲ占ムベキ者タルハ固ヨリ也彼神武天皇モ
亦其始ハ即チ日向ノ一豪族ノミ苟モ民権ヲ暢達シテ自由ノ実ヲ占メント欲セバ首トシテ自
尊ノ精神ヲ発揮スルニ如クハナシ
 
 この社説のいう「国民自尊ノ精神」とは、まず何よりも一国人民の多数(あるいは国民中の先進者)が「万民同等」の自覚を持つことであるとされます。立憲政治を実効あるものとするには、この精神が不可欠だというのです。そして、「万民同等」の意味するところは、君主・帝王支配の正当性を「神権」「天神ノ意思」「天命神意」に求める「妄想」や、君主と人民を「別種ノ人」とし、君主の地位を「万世万歳ノ末」まで続く「天然不易ノ階級」とする妄想から自由になることだと言っているように、徹底した、君主・帝王の神秘性・不変性・絶対性の否定であったのです。
 この社説が興味深いのは、人民から超越する絶対的権力者としての帝王・君主が、歴史的に形成されたものであることを、それも権力奪取者の「権略」と、人民の「妄想」が造りだしたものであることを明確にしている点にあります。また、国民自尊の精神は君主・帝王(賢愚明暗の別なく)の「野望」と「非理」を決して容認するものではないとされ、読みようによっては、君主に対する抵抗権の承認とも考えられます。そしてさらに興味深いのは、以上の君主・帝王論、万民同等論の結果として、君主・帝王(そして大臣・宰相)は公の僕、つまり国民の尊栄を享用する権理を保護する公僕であるとの指摘がされている点でしょう。
 しかし、この社説の最も重要な意味は、以上の論理展開がヨーロッパや中国の事例を取り扱う一般論として行なわれたのではない、というところだろうと考えられます。日本の「天家」を全国人民が「大陽」のごとく見ていることの歴史性を、ヨーロッパや中国と同質の問題として認識していることは、その一つの現われでしょう。さらに文末には、「神武天皇モ亦其始ハ即チ日向ノ一豪族ノミ」として、日本人民が「民権ヲ暢達シテ自由ノ実ヲ占メント欲セバ首トシテ自尊ノ精神ヲ発揮」しろと結んでいます。自尊の精神の意味するところが、君主の神的な超越性、君主権力の絶対性の否定にある以上、日本の天皇もその論理的帰結から排除されることはなかったと思われます。むしろ、最後の3行ほどの文章に、社説執筆者の真意があったと受けとるべきでしょう。
 ところでこの社説によって、「はじめに」で紹介したように、仮編輯長の永田蘇武が讒謗律違反で有罪判決を受けます。判決日は1880(明治13)年8月19日、讒謗律第2条の適用を受けて(乗輿に対する讒毀・誹謗は禁獄3月以上3年以下、罰金50円以上1000円以下)、禁獄2年・罰金 100円でした。20日以降の新聞からは、仮編輯長永田蘇武の名が消え、藤波篤治郎の名に代わります。
 処罰に関する新聞雑報記事を、東京曙新聞(「曙」と略す)と東京横浜毎日新聞(「毎日と略す)、朝野新聞(「朝」と略す)から紹介しておきます。
 
〇昨日弊社の仮編輯長は左の宣告を蒙り一同恐縮仕る
                           曙新聞仮編輯長
                               永田 蘇武
 其方儀該社曙新聞第二百四十七号国民自尊ノ精神ト題シタル社説中ニ帝王ト云ヒ大臣宰
 相ト云フモノハ畢竟万民保護ノ為ニ之ヲ使役スル所ノ者即チ国家公用ノ臣僕タルコトヲ
 認メ云々又ハ彼ノ神武天皇モ其始ハ則チ日向ノ一豪族ノミ云々ト掲載スル科讒謗律第二
 条ニ擬シ禁獄二年罰金百円申付ル           (「曙」明治13年8月20日)
〇曙新聞の永田蘇武どのは讒謗律第二条に擬し禁獄二年と罰金百円昨日申付らる……
                          (「毎日」明治13年8月20日)
〇曙新聞の永田蘇武殿の宣告は不当なりとて検事局より上告になり再調として一昨日同氏
を裁判所へ呼出されし由                (「朝」明治13年8月25日)
〇一昨日の各社新聞に曙新聞の永田蘇武氏が宣告が不当なりとて東京裁判所検事局より其
筋へ上告ありしに付き再調べとして昨日同氏は裁判所へ呼び出たされたりとあれども尚ほ
能く聞く所によれは同氏の呼び出たされたるは上告云々の為めにはあらずして此程宣告せ
られたる罰金の納不納の儀に就ての事なりしと且つ検事局よりは上告せられざる由なり
                          (「毎日」明治13年8月26日)
 
 曙新聞は判決の翌日に判決文を掲げ、東京横浜毎日は刑量のみでした。朝野新聞については紹介しませんが、20日に判決文をそのまま雑報記事風にして曙新聞の報道と同じ判決文を全文紹介していますので、帝王・大臣公僕論、天皇日向豪族論については、読者に判るようになっています。
 なお、永田蘇武なる人物がどのような人物なのか、手持ちの資料ではなんともわかりません。人名索引などあたってみると、永田姓では永田一二の名が出てくる程度です。ご存じの方がございましたら、ご教示ください。



V
 前島豊太郎の「事物変遷論」
 
 静岡県の自由民権家前島豊太郎が、1881(明治14)年10月8日に、静岡寺町の小川座で行なった演説「事物変遷論」(事物ノ変遷)もまた、興味深い演説でした。この演説内容を国立公文書館所蔵の『公文録明治十四年司法省十二月』の綴じのなかに見出した時、私にとっては極めて意外な民権家の天皇観に、少々たじろぎました。読んでいただければ分かりますが、この史料は、前島の演説を臨監の警官が犯罪(「聖祖ノ御盛業ニ対シ奉リ如此大不敬ノ所為」)の証拠として書き留めたものなので、当然にその信憑性に疑問を抱かせるものなのですが、真偽のほどは前島の思想や静岡の民権運動に詳しい方に判断を仰ぐよりほかありません。しかし少なくとも、当時の民権家の演説内容として、全く考えられないものでは無いということは、前号で紹介した「国民自尊ノ精神」で明らかなので、まず該当箇所を史料紹介してみましょう。(史料中の中略、以下略之は原文のママ)−〔以下紹介する前島豊太郎関係の史料は、現在『静岡県自由民権史料集』で全文見ることができます。〕
 
     証告書
駿河国有渡郡静岡両替町四丁目拾番地前島格太郎会主ニテ前嶋豊太郎外弐人ヲ演舌者トシ
テ政談演舌ノ認可ヲ得明治十四年十月八日午後第六時過静岡寺町小川座ニ於テ開会候ニ付
拙者共三人ハ条例ニ遵ヒ右会場ニ派遣シ監視罷在候処右前島豊太郎儀現ニ拙者共ノ目前ニ
於テ 歴代ノ 御盛業ハ蜂須賀小六ノ成立ト同一ナリ即大賊ノ第一等ト云主義ヲ以テ左ノ
通演舌セリ
 前島豊太郎曰諸君ヨ(中略)抑モ天子ト云ヘバ皆有リ難ソウニ思ヒ来レドモ決テ左様ナ
 ルモノニ非ズ然バドウユウモノデアルト云ハヾ即チ大賊ノ第一等ナルモノナリ故ニ先ズ
 衆人ガ彼天子ガ賊ナリ此天子ガ賊ナリト云ヒシ例ヲ掲レバ彼ノ南北朝ト分レテ戦ヒシ天
 子ヲ衆儒等ガ此ノ天子ガ賊ナリ彼ノ天子ガ正統ナリ又タ彼ノ天子ガ賊ナリ此ノ天子ガ正
 統ナリト相互ニ公論セシガ水戸ノ黄門様ト云フ人始テ此レガ正統ニシテ彼ガ賊天子ナリ
 ト極メラレタリ是等ハ扨置キ元来天子ト云フモノハ其始メ己レガ意ニ従ハザル者ヲ伐チ
 倒シ践ミ倒シ切リ倒シ而シテ遂ニ此国ヲ我ガ所有物ノ如クセシモノナリ因テ之ヲ一言ニ
 シテ云ハヾ大賊ノ第一等ナルモノナリ然レトモ已ニ数千年来只難有難有ト架空ニアガメ
 来リタルヲ以テ皆真ニ難有イモノト思ヘドモ即チ拙者ガ今晩ノ演題事物ノ変遷ト云フモ
 ノヽ如ク段々時変リ物遷リ来レバ其一ツモ難有クナイモノトハナリタルニ付今更我々ガ
 如此事ヲ言フモ諸君ノ内ニハ或ハ御信用ノ無イ御方モ可有之候得共夫ニ就テハ誠ニ能キ
 実例有之ヲ以テ之ヲ証明ス可シ抑モ天子ノ成立ト云フモノハ彼ノ蜂須賀小六ノ成立ト少
 シモ不相異彼ノ小六ガ衆他ノ財産ヲ掠奪シ随ツテ又タ衆他ヲ刃殺シ且ツ其戦勝ノ廉ヲ以
 遂ニハ天下ノ大名トカ云フ者ニナリ今日ニ至ツテモ如此者ノ子孫ガ矢張リ華族トカ云フ
 モノニ成リテ居ル様ナモノナリ之ニテ皆サン天子ハ大賊ノ第一等ト云フコトガ能ク明ラ
 カニ御分リナサレタデアリマシヨウゾヨ就テハ所謂事物ノ変遷ト云程ヲ推テ変遷セネバ
 成リマスマイ然ラバ衆他ノ力ヲ団結シテ先ツ国会ト云フモノヲ興サヾル可カラザルナリ
 云々(以下略之)
右之通拙者共之目前ニ於テ恐レ多クモ 聖祖ノ御盛業ニ対シ奉リ如此大不敬ノ所為ヲ犯シ
遂ニハ国家ノ安危ニモ可相係事件ニシテ即内乱ヲモ可相生次第ニ付其現場犯罪ノ廉ノミ録
載シ証告仕候也                      一等巡査 荻原 友徳
                             十等警部 北原  晋
   明治十四年十月十二日                 四等警部 香取新之助
 
 臨監の警官によって明らかにされた前島の演説は、天子を「大賊ノ第一等」とし、その理由をいくつかの事例で示し、天子も、天子による政治も「変遷」の例外ではないことを強調し、衆多の団結で「変遷」(=国会開設)させようというものでした。これは、天子をありがたがるという人民の天皇観を否定することが演説の中心的課題であったと受けとれるものです。だからこそ、きわめつきの例として、盗賊であった蜂須賀小六が大名となり、その子孫が華族になっていることを示して、天子の成立も同様である、という聴衆受けしそうな話の構成が取られたのでしょう。小賊である蜂須賀に対応させて、天子を「国ヲ我ガ所有物」とした大賊と言い放つのです。
 このような演説は、当時にあって考えられない事ではないのですが、実際に行なわれたかどうかはやはり問題なので、関連史料として10月8日の時点(つまり演説会の当日)の「調書」(部分紹介)と、11日の日付のある「始末書」との二点を掲げておきましょう。
 
     調書
  (編者注−天子は大賊の第一等と演説したが、それは聖祖神武天皇様か、蜂須賀小
  六の時代の天子様か、あるいは今上皇帝陛下を指したか、という問いに対し)
答 先刻ノ演舌ヲ箇様ニ御聞取被成候哉一体私ハ天子様ヲ大賊ノ第一等ナリトハ申シマシ
 タ積リデハ御座リマセヌガ併シ左様御聞取ニナリマシタロウカ然レトモ私ハドウシテモ
 左様ハ申シマセヌ様ニ(註−前島は「様ニ」を「ト」と訂正している)思ヒマシタ
  (編者註−重ねて誰を指したかを尋問される)
答 私ハドウ考ヘマシテモ天子様ヲ大賊ノ第一等トハ申サヌ様ニ思ヒマスガ併シ其節申シ
 マシタ天子様ノ事ハ神武天皇様ハ腕力ヲ以天下ヲ治サメナサレタトハ申シマシタガ併シ
 大賊ノ第一等ナリトハタシカ申サヌ様(註−前島は「様」を「コト」と訂正している)
 デゴザリマシタ
問 然ハ其方ハドウシテモ只神武天皇様ハ腕力ヲ以天下ヲ御治メナサレタトノミ之ヲ申ス
 ノミト云カ
答 ハイ神武天皇様ハ全ク腕力ヲ以天下ヲ御取リナサレタトノミ申シマシタノデアリマシ
 タ
   明治十四年十月八日                 前島豊太郎 (拇印)
 
     始末書
                                     自分儀
今明治十四年十月八日午後六時ヨリ静岡寺町小川座ニ於テ政談演説会開場シ自分儀左之通
演説ヲ成シタリ
曰ク吾輩此場ニ於テ諸君ニ向テ演説セントスルモノハ事物変遷論ニシテ世ノ中万事万物時
勢ニ随ツテ変遷スルモノナリ
此間略ス
先ツ其例ヲ挙ンニ天道左遷日月五緯右行トハ支那先哲ノ確言スル処ナリ然ルニ今世ニ至テ
ハ地動説行ハレ云々肝要ニ非ザル分ハ詳細申供セズ
人道亦然リ往時吾日本ノ歴史ニ依ルニ北朝ハ正統ニシテ南朝ハ偏統ナリト云ヒシモ大日本
史ノ出ルニ及ンデ初テ南朝ノ正統タル事判然タリ支那モ亦タ然リ彼ノ三国ノ世ニ方ツテ魏
ノ曹宗ハ正統ナリト司馬温公ハ確定セシニ朱文公ハ蜀ノ玄徳ヲ以正統トシ魏呉ノ天子ヲ以
偏党トセリ依之視之レバ千載不抜ノ確言モ時有テ変ジ万古不易ノ卓見モ時世ニ随テ変遷ゼ
ザルヲ得ズ
此間略ス
故ニ去ル慶応三年卯十月徳川慶喜公ガ政権ヲ奉還シ宇内ノ形勢ヲ察セラレタルハ最早天下
ノ権ハ徳川家一己ノ掌握スベキ処ニ非ザレバナリ
是ヲ以テ明治元年戊辰ノ三月辱クモ吾ガ 天皇陛下ハ五ヶ条ノ御誓文ヲ以天下ニ誓ハセラ
レ万機公論ニ決ス可キ云々ト仰セ出サレタリ
然ルニ和漢古来ノ歴史ニ徴スルニ 天子ハ賊徒ト諸君モ知ラルヽ阿州公ノ祖先蜂須賀小六
ノ騒擾ニ乗ジテ一国ノ大守トナラレタルト大小ノ別アレトモ何レモ腕力ヲ以国ヲ取リタル
モノナレバナリ
是ヨリ君主専治ノ政体トナレリ
其後頼朝公覇府ヲ鎌倉ニ開ラキ北条九代足利十三代乃至徳川氏ニ至ルモ何モ君主専治ノ政
体ニシテ君民共治ノ立憲政体ニ非ズ又共和政治ニ非ルナリ云々以下御尋問ノ要ニ非レバ略
  右之通相違不申上候
   明治十四年十月十一日                前島豊太郎 拇印
 小川座演説場 監臨御出役 御中
 
 もう一つ参考までに紹介しておきますが、静岡裁判所の判決(讒謗律の乗輿讒毀にあたるとして、禁獄3年罰金 900円)を不服とした前島は、12月26日に大審院に上告するさいに提出した趣意書のなかで、大小の別はあるけれども天子は「腕力ヲ以テ国ヲ取リ」、「是ヨリ君主専治ノ政体トナ」ったとし、この「腕力」は「武徳」の意味であったとしていました。また、「君主専治」とは「国君ノ威権至ツテ盛ニシテ人民タルモノハ性命財産ト雖モ時ニ寄リ自カラ保存スル」ことのできない政体で、「最早方今ノ政体ハ(註−天皇の誓文や布告で明らかなように)立憲政体即チ君民同治ノ政体ニ非ルヨリ他ニ天下人心ヲ統轄シテ之ヲ心服セシムルノ策無」しと演説したのだ、と弁明しています。(原口清「静岡県言論弾圧史の一断面−前島・荒川『舌禍』事件関係史料」、静岡大学法経短期大学部『法経論集』第12号、1961/11)
 前島の弁明は、天子を大賊の第一等とは言わなかったことにしぼられ、天子が腕力によって権力を奪取したとは言っていたのでした。
 前島が、天子を大賊と言ったかどうかは、結局は水掛論とならざるを得ませんが、警官の記した演説内容と、前島の弁明を読んで感じるのは、前島が、腕力によって国を取ったということを問題にするのは、天子による専制の政治が変遷の対象であることを示すことにあったとしか思われない以上、わざわざ盗賊であった蜂須賀小六が騒擾に乗じて一国を支配する大名となったことをもちだせば、実際の演説はともかく、天子が力によって国を取った(盗み取った)と聴衆が受け取るのは必然で有ったように思われます。警官の記した演説内容は、単にデッチ上げと考えるだけでは済まない内容を持っていたと思われるのです。
 そして、前島が演説したとされる内容にきわめて類似した演説が、実はすでに何人かの歴史家によって紹介されています。不敬事件としてかなり知られている、大庭成章による、1882(明治15)年3月の三重県伊賀国阿拝郡比曾河内村での「不敬演説」です。手塚豊著『自由民権裁判の研究(下)』所収の裁判言渡書(26頁)から紹介しておきましょう。――と思ったのですが、ページ数の関係で、関係部分の引用紹介は次号に回しましょう。大庭成章の演説については、その内容を新聞がかなり大きく取り扱いましたので、「共和演説」として知れ渡りました。私が、現在編集している『明治建白書集成』にも、この演説を直接の契機として不敬罪の処罰強化を求める建白を集録しますが、それらの関連史料とともに、次号で紹介したいと思います。
 
[未完]
 
 
 
参考史料T
 
 
@五日市憲法
 45 日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ他ヨリ妨害ス可ラス且国法之ヲ保護ス可シ
 48 凡ソ日本国民ハ日本全国ニ於テ同一ノ法典ヲ準用シ同一ノ保護ヲ受ク可シ地方及門
   閥若クハ一人一族ニ与フルノ特権アルコトナシ
 76 子弟ノ教育ニ於テ其学科及教授ハ自由ナル者トス然レトモ子弟小学ノ教育ハ父兄タ
   ル者ノ免ル可ラサル責任トス
 77 府県令ハ特別ノ国法ヲ以テ其綱領ヲ制定セラル可シ府県ノ自治ハ各地ノ風俗習例ニ
   因ル者ナルカ故ニ必ラス之ニ干渉妨害ス可ラス其権域ハ国会ト雖トモ之ヲ侵ス可ラ
   サル者トス
 86 民撰議院ハ行政官ヨリ出セル起議ヲ討論シ又国帝ノ起議ヲ改竄スルノ権ヲ有ス
 194 国事犯ノ為ニ死刑ヲ宣告ス可ラス又其罪ノ事実ハ陪審官之ヲ定ム可シ
 
 18 国帝ノ身体ハ神璽ニシテ侵ス可カラス又責任トスル所ナシ
 38 国帝ハ国会ヨリ上奏シタル起議ヲ允否ス
 141 国帝ハ国安ノ為ニ須要トスル時機ニ於テハ両議院議決ヲ不認可シ其議会ヲ中止シ
   紛議スルニ当リテハ其議員ニ解散ヲ命スルノ権ヲ有ス然レトモ此場合ニ当リテハ必
   ラス四十日内ニ新議員ヲ撰挙セシメ二ケ月間内ニ之ヲ召集シテ再会ス可シ
A五日市学術討論会での討論方法
・通常会ニ於テハ毎会議員中ヨリ議長ヲ撰挙セシ上ニテ、書記前会巨細ノ事件ヲ朗読シ、
 会員既ニ之ヲ承認セハ、直ニ議長ヨリ発議者ヲ呼ヒ会員ニ向テ本論ノ主趣ヲ説明セシム
 ベシ
・発議者既ニ論旨ヲ説明シ了レハ賛成者ハ直ニ立テ之ニ対シ自己ノ意見ヲ述ルヲ常トス、
 而シテ後他ノ議員一名ツヽ適意ニ討議スルを得ベシ、斯ノ如ク論者皆ノ討論シ了レハ議
 長ハ発議者ヲシテ之レガ答弁ヲ為サシメ、然ル後議長自ラ問題ノ要点ヲ挙ケ起立ニ依リ
 テ決ヲ取ルベシ、夫ヨリ衆議員ヲシテ次会ニ討論スベキ論旨ヲ発言セシメ、賛成者アレ
 ハ其多数ヲ取リテ次会ノ論題ヲ定メ而ル後チ散会ス
・発議者ノ答弁ト前言ヲ説明スル者トノ外一議員ニシテ再度発言スルヲ許サス
B深沢権八の討論題集に記された討論の題目(63のうち興味深いもの)
*自由ヲ得ルノ捷径ハ智力ニアルカ将タ腕力ニアルカ
*女戸主ニ政権ヲ与フルノ利害 
*国会ハ二院ヲ要スルヤ 
*女帝ヲ立ツルノ可否 
*出板ヲ全ク自由ニスルノ可否 
*人民武器ノ携帯ヲ許スノ利害 
*条約締結権ヲ君主ニ専任スルノ利害 
*犯罪ノ嫌疑ニ因テ拘引セラレ吟味ノ上遂ニ無罪ノ言渡ヲ受タル者ハ、法理上其損害ノ賠
 償ヲ政府ニ向テ求ムルベカラザルカ 
*不治ノ患者ガ苦痛ニ堪カネ死ヲ求ムル時ハ、医員立会ノ上之ヲ薬殺ス可シトノ明文ヲ法
 律ニ掲クルノ可否 
*衛生上ゑり巻を用ひるの可否 
*日本酒ト西洋酒ノ利害 
*甲男アリ有夫ノ婦乙女ト道路ニ於テ接吻セリ、其処分如何 
*本夫姦夫ヲ姦所ニ捉フ、姦夫反ツテ本夫ヲ殴テ将ニ死ニ至ラントス、遺言シテ姦罪ヲ告
 訴セシム、語畢テ斃ル、親属托ヲ受ル者之ヲ検事ニ訴フ、右告訴権ノ有無如何
1881年9月5日の会でのテーマ……一局議院ノ利害、米穀ヲ輸出スルノ得失、死刑廃スベ
キカ
C憲法草稿評林(執筆者不明)
☆帝位継承者がいない場合、「代議士院ノ預撰ヲ以テ人民一般ノ投票ニヨリ日本帝国内ニ生レ諸権ヲ具有セル臣民中ヨリ皇帝ヲ撰立シ若クハ政体ヲ変シ(代議士院ノ起草ニテ一般人民ノ可決ニ因ル)統領ヲ撰定スルコトヲ得」
☆「皇帝憲法ヲ遵守セス暴威ヲ以テ人民ノ権利ヲ圧抑スル時ハ人民ハ全国総員投票ノ多数ヲ以テ廃立ノ権ヲ行フコトヲ得ル
☆「憲法約定ノ日ニ至リ……人民ハ仮令湯火ヲ蹈ムト雖トモ、出板言論ノ自由、兵器ヲ所有スルノ権、並ニ地方自治ノ権丈ケハ必ス得スンハ止ム可カラス」
☆「大東洋中ノ一孤島ニ於テ金甌無欠ノ最良憲法ヲ約シ、遠ク英国ノ上ニ駕シ、全世界万国ニ向テ誇称センコトヲ勉メテ惰ルコトナカレ
D日本憲法見込案(土佐立志社)
☆「此憲法ハ日本立憲帝政ノ廃没ト共ニ其効力ヲ失フヘシ」(前文)
☆「国帝ハ叛逆重罪ニ因テ其位ヲ失ス」(83)
☆「国民ハ兵器ヲ貯フルコトヲ得」(41)
☆「国民ハ非法不正ニ抗スルノ権理ヲ有ス」(43)
E東洋大日本国々憲案(土佐立志社、植木枝盛)
☆「皇帝ハ国政ノ為メニ責ニ任セス」
☆「政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルヲ得 政府威力ヲ以テ擅恣暴虐ヲ逞フスルトキハ日本人民ハ兵器ヲ以テ之ニ抗スルコトヲ得」
☆「政府恣ニ国憲ニ背キ擅ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ妨クルトキハ日本国民ハ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得」
F猪俣道之輔の「主権の帰結」
一国憲法ノ利害ヲ廃置シ一国ノ施政ノ方向ヲ左右スルモノ之ヲ目シテ国ノ主権ト云フ即チ
一国人民ノ権利相ヒ集合シテ社会ノ平和ヲ組織スルノ基礎タリ故ニ一人一己ノ専有スルヤ
道理ニ非ルナリ……抑モ彼ノ論者ノ説(注−国君主権論)タルヤ取モ直サス国ナルモノハ
国君ノ私有物ナリ故ニ国君ハ如何ナル不正ヲ行ヒ如何ナル私意ヲ施スモ人民決シテ之ヲ問
フ可カラス責ム可ラスト言フカ如シ然ラハ即チ我貴重ナル生命ハ何ニ由テ維持スヘキヤ我
大切ナル財産ハ何ニ依テ保存スヘキニヤ一ニ国君ノ愛憎如何ニアリテ人権ハ国君ノ授与シ
タルモノト云フニ等シ之ヲ人類ノ本性ト謂フ可キ歟余輩信セサルナリ……英国ハ君民同治
ヲ以テ世界ニ立ツノ国ナリ米国ハ共和政治ヲ以テ天下ニ立ツノ土ナリ此両国ニ於テ君長ト
称セラルモノ一ハ其位ヲ世襲シ一ハ人民ヨリ撰挙セラルヽトノ差異アリト雖モ人民ノ意思
常ニ政治上ノ実際ニ逞フスル勢力ヲ有スルハ両国共ニ同一轍ナリ……然ラハ国王或ハ政府
ノ頭長ハ其人民ノ委托ヲ受テ主権ヲ正用スルモノナリ是レ此両国ガ今日ノ富強開明ヲ致シ
各自満足ヲ得ル所以ノモノハ人民此主権ヲ握ルノ外ナラサルヘシ若シ然ラスシテ主権ヲ以
テ国君ニ帰属スルモノトセハ仮令如何ナル善美ノ国会アリテ完全ノ憲法制度ヲ制立スルモ
国君ノ意志ニ適セサレハ之ヲ国内ニ施行ス能ハサルトキハ彼ノ殷紂カ如キ暴君出テ人民ヲ
害シ国憲ヲ暴殄(ぼうてん)スルニ至レハ禍乱ハ常ニ已マサルヘシ故ニ余輩断シテ言ハント
国家ノ治平ヲ望マハ主権ハ人民ニ帰属セサル可ラサルナリト
G曙新聞の永田蘇武の「国民自尊の精神」 讒謗律違反で有罪(1880年8月)
   〇国民自尊ノ精神
宇内万国各其政治ノ体裁ヲ殊ニシ随ツテ各種政治ニ彼此長短優劣ノ差ヲ同フセズ唯立憲政
体ヲ推シテ最良至善ノ政体ト為ストハ是レ三尺ノ童児モ亦之ヲ知ラザルナキノ套(とう)語
(ご)タリ然ルニ此立憲政治ニ不可欠ノ精神アリ苟モ一国人民ノ多数若クハ其国民中ノ先進
者ガ此精神ヲ有スルニ非ザレバ真正ノ立憲政治ハ決シテ立ツコトナシ仮令一時形容ダケノ
立憲政体ヲ設ケテモ此精神無ケレバ該政体ハ倏チ立チ倏チ倒レテ乱離騒擾歇ムコトナク国
民ヲシテ尊栄ノ実ヲ享ケシムルコトヲ得ズ如是キ先例ハ各国ノ経験ニ徴スレバ歴々トシテ
明カナルヲ以テ今敢テ爰ニ贅演セズ
所謂立憲政治ノ精神トハ何者ゾ無他国民自尊ノ精神即チ是ナリ詳ラカニ之ヲ言ヘバ自尊ト
ハ躬(み)自ラ尊重スルノ義ニシテ大凡ソ一国ノ人民ハ万民同等タルコトヲ認メ彼帝王ト云
ヒ大臣宰相ト云フモノハ畢竟万民保護ノ為ニ之ヲ使役スル所ノ者即チ国家公用ノ臣僕タル
コトヲ認メ然ル以上ハ国民ノ位地ハ正ニ君主帝王ト対峙スル者タルコトヲ確認シ凛然自ラ
己レノ体面ヲ保存尊重スルノ精神是レ也此精神ト彼帝王ノ慾望君主ノ野心トハ決シテ相容
レズ顧ルニ古来各国雄才大略ノ君主ハ固ヨリ言フ迄モナク之レヨリ降リテ暴君驕主カ其野
心ヲ肆ニスル所以ノ者ハ必ラズ先其民ヲ愚ニスルノ秘訣ニ由ラザルハナシ支那歴代ノ皇帝
其尊厳ヲ天神ニ比シ天子ノ言語動作ヲ目スル天神ノ言語動作ニ均シク其国土ト人民トヲ挙
テ天子ノ奴隷私有ト同視スルニ至ル欧洲諸国モ亦昔時ニ在テハ君主ヲ視ルコト神ノ如ク帝
王ノ特権ヲ指シテ之ヲ神権ト称シ君主ノ意思ハ即チ天神ノ意思ト一般ノ看ヲ做セリト云フ
我日本ノ如キハ帝家ノ尊厳殊ニ万国ニ冠絶シ全国人民ノ天家ヲ瞻(み)ルコト大陽(ママ)
ノ如シ蓋シ各国人文未タ開ケザルノ世ニ在テハ材徳智力衆人ノ上ニ卓越スルノ英雄俊傑起
ルアリテ社会ノ為ニ其乱ヲ撥(おさ)メ其正ニ反スハ自然ノ勢ニシテ各国皆然リ各国ノ所謂
先世ノ英主トカ古代ノ聖帝トカ称セラルヽ人々ハ即チ此種ノ人ニ非ルハナシ此種ノ聖帝英
主ガ撥乱反正(はつらんはんせい)ノ功跡ト其法ヲ制シ教ヲ設ケタル勲業トハ挙テ之ヲ天命
神意ニ託シテ以テ其事ヲ神変不可思議ナラシム無他当時社会ノ耳目ヲ眩殺セシメテ以テ社
会ノ擾乱ヲ未発ニ制伏センガ為ニスルノ権略ノミ然ルニ此権略ハ識ラズ知ラズ社会ノ耳目
ヲ圧倒シ去リ竟ニ社会ヲシテ君主ヲ仰クコト天ノ如ク神ノ如ク君主ト人民トハ全ク是レ別
種ノ人ト為スニ至ル妄想迷認モ亦甚シカラズヤ人民既ニ此妄想ニ陥溺シテ自ラ其妄想タ
ルコトヲ覚ラズ此ニ於テカ歴代ノ君主ハ此妄想ヲ以テ無二ノ奇貨ト為サヾルハナシ君主若
シ賢明ナレバ即チ此妄想人民ヲ犠牲トシテ以テ富国強兵ノ勲業ヲ立テ万骨ヲ枯ラシテ以テ
一君ノ功名ヲ千載ノ下ニ伝フ君主驕暴ナレバ即チ此妄想人民ヲ犠牲トシテ以テ究奢極慾ノ
資ニ供シ億兆ノ膏血ヲ絞リテ以テ一君ノ驕侈ヲ逞フス故ニ君主ノ賢愚明暗如何ニ拘ハラズ
此妄想人民ガ君主ヲ神明視シテ以テ之レガ犠牲ト為ルノ事実ハ枚挙ニ遑アラザル也有名ノ
英主タル仏王路易第十四世ガ国ハ即チ我ナリ我ガ無限ノ神権ヲ握ルハ固ヨリナリト称シ又
普王普烈徳力ガ普国人民ハ唯国王ヲ神トシ仰クコトヲ知ルノミナレバ余ガ人民ヲ鄙視スル
モ彼ハ決シテ之ヲ怨ミテ叛乱ヲ起スノ患ナシト称セルガ如キハ君主自ラ妄想人民ヲ奇貨ト
スルノ心事ヲ白状セルモノニシテ之ヲ要スルニ今古ノ帝王ガソノ民ヲ愚ニスルノ秘訣ヲ以
テソノ韜略ノ奥義ト為スハ明カナリ何トナレバ如此ナラザレバ即チ以テソノ野心ヲ逞フス
ルヲ得ザレバナリ今夫レ国民ソノ君主ノ愚ニスル所ト為リテソノ帝王ヲ視ルコト天ノ如ク
神ノ如ク一般人民ハ天地開闢ノ始メヨリ臣タリ僕タリ卑賎タリ帝王ハ即チ之ニ反シ天日ノ
子ナリト云ヒ天帝ノ孫ナリト云ヒ万世万歳ノ末マデモ君タリ王タリ尊貴タリ故ニ君主ト人
民其一尊一卑ハ元来天然不易的ノ階級ニ出ル者ト妄想スル間ハ決シテ自尊ノ精神ナシ若自
尊ノ精神アル時ハ必ス此妄想ナシ此妄想ト自尊ノ精神トハ其相反スルコト氷炭水火啻ナラ
彼英米人民カ宇内万国ニ率先シテ一人自主ノ尊栄ヲ占メタル所以ノ者ハ他ニ非ズ自尊ノ
精神先ツ其先進人民ノ脳底ニ湧出シタルヲ以テ也自尊ノ精神一タビ湧出スレハ即チ宇宙ノ
間唯正理ヲ除ク外ニ復タ畏ルベキ者無ク正法ノ外ニ復タ服スベキ者ナシ而シテ国民ノ国民
タル本位本分ハ実ニ同等ノ尊栄ヲ享用スルノ権理アリ君主帝王ナル者ハ特ニ国民ヲ保護ス
ルノ公僕タルコトヲ認メ得テ分明ナルカ故ニ君主若シ非理ノ威力ヲ逞フシテ之ヲ国民ニ加
ヘントスルモ国民ハ決シテ之ヲ容レズ否国君主ノ非理既ニ容レラレサレハ即チ何等雄才大
略ノ帝王アリト雖モ決シテ其野心(アムビシヤスマインド)ヲ逞フスルコトヲ得ズ況ンヤ暗
君暴主ヲヤ故ニ曰ク国民自尊ノ精神ハ決シテ君主ノ野心ト相容レズ復タ決シテ並ビ立タザ
ル也
普烈徳力大王言アリ曰ク王者若シ貪功ノ性質ナラバ其性ヲ枉ケテ苟モ臣民ニ従順スベカラ
ズ看ヨ余ハ即チ貪功ノ性質ナリ曩キニ若シ余ヲシテ此性質ヲ屈シテ臣民ノ為ニ抑制セラル
ヽコトアラシメバ余ハ今日ニ至ル迄ニ争テカ此大功業ヲ立ルヲ得ンヤ夫レ正理ハ人類社会
ノ貴重スル所ナリ然レトモ帝王万乗ノ尊ニ居リナガラ単ニ正理ノ為ニ制セラレテ区々タル
縄墨ノ範囲内ニ一生ヲ経過セバ仮令貪暴ノ詆ヲ免ルヽニ足ルモ誰カ復タ個ヲ目スルニ英雄
俊傑ヲ以テスル者アランヤト抑天下何ノ世カ何ノ国カ普烈徳力大王ノ如キ英主ノ起ラザル
ヲ保タンヤ之ヲ其未起ニ制御シテ以テ国民ノ尊栄ヲ其未壌ニ保安スルノ策ハ唯立憲政体ニ
在リ然リ而シテ此政体ハ国民自尊ノ精神アルニ非レバ即チ其実効ヲ奏スル能ハズ嗚呼我日
本人民モ亦同等天賦ノ権理ヲ固有シ尊栄ノ位地ヲ占ムベキ者タルハ固ヨリ也彼神武天皇モ
亦其始ハ即チ日向ノ一豪族ノミ苟モ民権ヲ暢達シテ自由ノ実ヲ占メント欲セバ首トシテ自
尊ノ精神ヲ発揮スルニ如クハナシ
H前島豊太郎の演説「事物の変遷」 1881年11月8日
抑モ天子ト云ヘバ皆有リ難ソウニ思ヒ来レドモ決テ左様ナルモノニ非ズ……元来天子ト云
フモノハ其始メ己レガ意ニ従ハザル者ヲ伐チ倒シ践ミ倒シ切リ倒シ而シテ遂ニ此国ヲ我ガ
所有物ノ如クセシモノナリ因テ之ヲ一言ニシテ云ハヾ大賊ノ第一等ナルモノナリ……抑モ
天子ノ成立ト云フモノハ彼ノ蜂須賀子小六ノ成立ト少シモ不相異彼ノ小六ガ衆多ノ財産ヲ
掠奪シ随ツテマタ衆多ヲ刃殺シ且ツ其戦勝ノ廉ヲ以遂ニハ天下ノ大名トカ云フ者ニナリ今
日ニ至ツテモ如此者ノ子孫ガ矢張リ華族トカ云フモノニ成リテ居ル様ナモノナリ……
I『文明雑誌』の論説「進路の荊棘」 1882年10〜11月
君主カ無上ノ大権ヲ掌握シ、其位ヲ世々ニシ、儼然トシテ吾人ヲ専制スル所以ハ、習慣ニ
アラスシテ何ソヤ、妄信ニアラスシテ何ソヤ、往古穢多奴隷トテ吾人同胞ノ兄弟ヲ軽蔑シ
テ社会ノ外ニ放置シタルハ、習慣ニアラスシテ何ソヤ、妄信ニアラスシテ何ソヤ、君主モ
人類ナリ、穢多モ人類ナリ、同ジク身心ヲ備ヘ斉ク自由ヲ有シ、彼此人種ト権理ヲ異ニセ
、然ルヲ一ハ無上ノ尊栄ヲ享ケ、一ハ無下ノ軽蔑ヲ受ケ、此懸隔雲泥モ啻ナラズ、是レ
必竟往古ノ人民カ君主ヲ尊崇スルノ甚シキ、之ヲ人間以上ノ地位ニ置キ、恐惶頓首、身ヲ
其使役ニ供シ、歳月ノ久シキ終ヒニ君主ヲ以テ至尊無上ノモノト妄信セシニ因ルノミ、
ニ習慣衰フレハ、君権モ亦随テ衰ヘ、忠義欽服奉体ノ如キ卑屈ナル語ハ、吾人ノ心思外ニ
去テ復タ人間ノ行為ヲ支配セサルニ至ラン、嗚呼、君主ノ位ハ習慣ニ起テ正理ニ亡フモノ
ナリ、君主ノ権ハ古例旧慣ト盛衰ヲ共ニスルモノナリ、之ニ反シ穢多ノ卑賎ハ、習慣ニ由
テ起リシヲ以テ、習慣ノ衰フルニ随テ同等ノ権理ヲ恢復シ、吾人ト共ニ自由ヲ謳ヒ快楽ニ
笑フノ福境ニ進ムヘシ……
I『文明雑誌』の論説「進路の荊棘」 1882年10〜11月
君主カ無上ノ大権ヲ掌握シ、其位ヲ世々ニシ、儼然トシテ吾人ヲ専制スル所以ハ、習慣ニ
アラスシテ何ソヤ、妄信ニアラスシテ何ソヤ、往古穢多奴隷トテ吾人同胞ノ兄弟ヲ軽蔑シ
テ社会ノ外ニ放置シタルハ、習慣ニアラスシテ何ソヤ、妄信ニアラスシテ何ソヤ、君主モ
人類ナリ、穢多モ人類ナリ、同ジク身心ヲ備ヘ斉ク自由ヲ有シ、彼此人種ト権理ヲ異ニセ
、然ルヲ一ハ無上ノ尊栄ヲ享ケ、一ハ無下ノ軽蔑ヲ受ケ、此懸隔雲泥モ啻ナラズ、是レ
必竟往古ノ人民カ君主ヲ尊崇スルノ甚シキ、之ヲ人間以上ノ地位ニ置キ、恐惶頓首、身ヲ
其使役ニ供シ、歳月ノ久シキ終ヒニ君主ヲ以テ至尊無上ノモノト妄信セシニ因ルノミ、
ニ習慣衰フレハ、君権モ亦随テ衰ヘ、忠義欽服奉体ノ如キ卑屈ナル語ハ、吾人ノ心思外ニ
去テ復タ人間ノ行為ヲ支配セサルニ至ラン、嗚呼、君主ノ位ハ習慣ニ起テ正理ニ亡フモノ
ナリ、君主ノ権ハ古例旧慣ト盛衰ヲ共ニスルモノナリ、之ニ反シ穢多ノ卑賎ハ、習慣ニ由
テ起リシヲ以テ、習慣ノ衰フルニ随テ同等ノ権理ヲ恢復シ、吾人ト共ニ自由ヲ謳ヒ快楽ニ
笑フノ福境ニ進ムヘシ……
I『文明雑誌』の論説「進路の荊棘」 1882年10〜11月
君主カ無上ノ大権ヲ掌握シ、其位ヲ世々ニシ、儼然トシテ吾人ヲ専制スル所以ハ、習慣ニ
アラスシテ何ソヤ、妄信ニアラスシテ何ソヤ、往古穢多奴隷トテ吾人同胞ノ兄弟ヲ軽蔑シ
テ社会ノ外ニ放置シタルハ、習慣ニアラスシテ何ソヤ、妄信ニアラスシテ何ソヤ、君主モ
人類ナリ、穢多モ人類ナリ、同ジク身心ヲ備ヘ斉ク自由ヲ有シ、彼此人種ト権理ヲ異ニセ
、然ルヲ一ハ無上ノ尊栄ヲ享ケ、一ハ無下ノ軽蔑ヲ受ケ、此懸隔雲泥モ啻ナラズ、是レ
必竟往古ノ人民カ君主ヲ尊崇スルノ甚シキ、之ヲ人間以上ノ地位ニ置キ、恐惶頓首、身ヲ
其使役ニ供シ、歳月ノ久シキ終ヒニ君主ヲ以テ至尊無上ノモノト妄信セシニ因ルノミ、
ニ習慣衰フレハ、君権モ亦随テ衰ヘ、忠義欽服奉体ノ如キ卑屈ナル語ハ、吾人ノ心思外ニ
去テ復タ人間ノ行為ヲ支配セサルニ至ラン、嗚呼、君主ノ位ハ習慣ニ起テ正理ニ亡フモノ
ナリ、君主ノ権ハ古例旧慣ト盛衰ヲ共ニスルモノナリ、之ニ反シ穢多ノ卑賎ハ、習慣ニ由
テ起リシヲ以テ、習慣ノ衰フルニ随テ同等ノ権理ヲ恢復シ、吾人ト共ニ自由ヲ謳ヒ快楽ニ
笑フノ福境ニ進ムヘシ……
K大庭成章の裁判言渡書 1882年(明治15)3月15日
    裁 判 言 渡 書
              東京府日本橋区浜町壱丁目二番地
               士族
                              大 庭 成 章
右被告人ニ対シ三重県警部補柏田諌見ヨリ公訴ニ及ヒタル政談演説開会ノ節腕力貴フ可シ
ト題セル其演説中今上天皇陛下ニ対シ不敬ノ言語ヲ発シタル事件審理判決スルコト左ノ如
被告成章ニ於テハ明治十五年三月十一日夜伊賀国阿拝郡比曽河内村ニテ会主兼弁士京都府
士族岡正綱卜倶ニ右比曽河内村平民川口弥平次持家ニ於テ政談演説会ヲ開ラキ其節腕力貴
フ可シト題セル一題ノ其演説中ニ公衆ニ向イ御前サン方カ祖先卜貴フ処ノ神武天皇ト謂フ
ハ日本近カキニアル異国人ニテ腕力ノ最モ強キモノナリ其人日本ノアルヲ知リ日本ニ来テ
強キ腕力ヲ以テ日本ノ腰抜ケ人ヲ圧倒シテ日本ヲ奪フタル則大盗賊ダ其盗賊ノ神武天皇ノ
末流タル今ノ今上天皇陛下ヲ始メ太政大臣参議モ大盗賊ダ其下ニ遣ハルヽ帽ヲ冠リ棒ヲ携
ヘ腰ニ「ガチヤ」「ガチヤ」スルモノヲ附テ居ル奴ハ皆小盗賊タト演タルハ理ヲ推セハ同
様ニナルコトナリト供出スルト難モ天皇陛下ニ対シ大盗賊ダト不敬ノ言語ヲ発スルハ不敬
ノ所為ヲナシタルモノト確認ス
刑法第百十七条ニ曰 天皇三皇后皇太子ニ対シ不敬ノ所為アル者ハ三月以上五年以下ノ重
禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ストアリ
刑法第百二十条二曰 此章ニ記載シタル罪ヲ犯シ軽罪ノ刑ニ処スル者ハ六月以上二年以下
ノ監視ニ付ストアリ
右ノ理由ナルニ依リ検察官ノ意見ヲ聴キ刑法第百十七条及ヒ第百二十条等ノ法律ニ照シ重
禁錮四年ニ処シ罰金百円ヲ附加シ監視一年六月ニ付スルモノナリ
                  於上野治安裁判所
                   安濃津軽罪裁判所
                          判事補 新 田 義 敏
 明治十五年三月十五日
                          書 記 大 井 武 美
 
L伊藤金次郎の不敬演説 『東京日日新聞』1882年(明治15)8月23日号
岩手県下江刺郡岩谷堂駅の有志者の催ほしにて、盛岡自由求我社員たる稗貫郡黒川口村の
伊藤金次郎氏(三十二歳)を招き、去る七月卅日の夜、同所の松岩寺にて演説会を開きた
り。聴衆は男女七百人余にて監臨の警吏は三沢警部補と巡査二人なりしが、伊藤は演説の
席に上り、立憲政体を望むに旧政府の圧制より論ずべしとて、徳川氏及び藤原氏を論ずる
が如く愚弄するが如く、次で今や我が大臣参議より県令警察官郡村吏は、我々人民が出す
所の租税を以て月給を与へ公務を取扱わしむる者なれば、則ち人民の雇人にして天子の召
使に非ざるなり。凡そ雇主にして雇人を使ふは、夫々の責任あるものなれば、矢張人民も
官吏を統御せざるを得ず。又、天子は独り万事を裁すると云ふは決して成らざるものなり。
然るに人民は天子の何者たるを知らず、唯々貴ぶべく尊敬すべし、或は有難いなど云ふは
誤れりと云ふべし。素より天子は有名無実
と述ぶるが否や、三沢警部補は机を打て立ち上
り、金次郎と呼び、只今其方の演る所は乗輿を犯したり。依て演説を差止ると大声にて述
べられければ、金次郎は恐れ込み思はずハタと机上に頭を垂れたり。此のとき、聴衆中拍
手せし者杯は、人を押し排け跣にて表へ逃げ出したり。此の騒ぎにて女子供は泣き喚び、
混雑の間に金次郎は引き込み、聴衆も解散したれば、警吏は現行犯なりとて直ちに分署に
拘引し、乗輿に対し不敬及び大臣参議を侮辱したるものとし、本月一日、磐井軽罪裁判所
告発せられ、現今予審中なり。猶ほ県庁よりも一年間管内に於て演説を禁止せられたりと
の報あり。
 
 
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