| 新発見の史料紹介コーナー |
| 4、元新選組隊士松本捨吉の捕縛を伝える新聞記事 |
| 「東京日日新聞」明治8年(1875)3月28日、第971号 |
○武州多摩郡府中宿の松本某の悴捨吉は幼少の頃より農業を嫌ひ好んで博奕を打ち武芸を学び剣術は近傍には誰も此男に楯(たて)突く者もなき程にて博奕も兄(あに)イ株と成りたりしが旧幕の末に武芸あるを特みて会津藩の手に属し新撰組の一人となりて在京したりしが中国の兵の乱入の節に武力を振ひてしばへ苦戦んにし会藩と共に東下せしが世の変革に及び徳川氏の恩に報ひんなどと方嚮を誤り同志を募りて官軍に敵対し甲州の戦争にて敗走し故郷へ帰りて潜(ひそま)り居りしが博徒にて名の高き小金井の小次郎と兄弟分となり博徒仲間にて人に立てられ貸元とか唱へて掠(かす)りを取り官憲をも憚(はヽか)らず暴行(ばうこう)を恣(ほしい)まヽにせり去年浅草の辰五郎と云ふ者に所用ありて出京せしが浅草寺内の大工新吉は此節懲役中なれども閑暇の折りなれば留守へ尋ね往きしに中川の庄、吉原のオタンチン政、などの博徒七八人打寄り新吉が懲役所へ見舞を遣(や)ろうと叢談をして居たるゆゑ捨吉も其席に列なりしが捨吉が思ひ付きにて例の賭博(ばくち)を始め互ひに東京と田舎との意気地を張りて勝負を争ひしが遂に捨吉が負けと成りたり然るに兼て八王子宿の馬方安が弟由五郎と云ふ博徒が懲役に処せられて此頃丁度其満期に成りて先ヅ入舟町の小金井小次郎が宅まで由五郎を引取る事に成りて其出迎ひに往くとて高井戸村の団子屋勇次郎と捨吉が子分甲州無宿の鎌次郎彦次郎等と同道して来り入舟町の小次郎が方に止宿して在りし折ふし彼の捨吉も浅草より来り風(ふ)と面会して色々咄しの序(ついで)に此間浅草で賭博(ばくち)に負けて幾らへの金を取られたが全体あの仲間は頼母(たのも)しくない奴等(やつら)で誰レ一人も我(おれ)に寺口(てらぐち)を取り持ツて損を埋(う)めて呉れる者もなく己等(おのれら)が勝ち逃げにしたるは博徒(ばくちうち)の法を知らぬ奴等(やつら)だと怒りながら咄しければ鎌次郎彦次郎の二人も勃怒(むつと)とせしがナニ親分気遣をさツしやりますな私等(わツちら)が能(よ)い思案があると私言(さヽや)きて相談きまり夫レより捨吉は国元へ発足するとて浅草の仲間に暇乞をして新宿まで行き旅籠屋に泊りて忍び居たり鎌次郎等両人は長脇差を差して立ち出で途中で身拵へも出来ければイザ是れから彼の所へ押し掛けんと云ふ時に彦次郎は臆病風が付きて尻(しり)込みをするにぞ鎌次郎は嘲りて扨々行知(いくぢ)のない奴かなと云ひ様(さま)に脇差を抜きて刀背(みね)打ちにしければ彦次郎は驚きて逃げ去りけるゆゑ只一人にて新吉が宅へ到り見れば例の大勢が集りて金銭をならべ勝負最中なれば鎌次郎は是れまで顔を見知られぬを幸ひ私(わツち)は上州の博徒(ばくちうち)だが此ごろ間が悪いから金を借りに来たと云ふより早く脇差引き抜き飛び込みければ其場に居合せたる彼の中川の庄を始め数人の者が不意を喰(くら)ひて驚き周章(あはて)る処を縛り上げ有り合せたる金銭を奪ひ取りて逃げ去れり捨吉は此事に関係せざる体にて居たれども其のち鎌次郎が奪ひ取りし金を浅草奥山の葦簾小屋(よしずごや)にて分配(わけ)せし事などが露顕して五大区警視所より探索して捨吉鎌次郎ともに捕縛に就き糺明せられしに前件の始末を申し立しかば新吉は留主ながら其妻を始め其場に居合はせたる博徒ども一同に拘縛せられて是れ亦糺問の上に裁判所へ送致されたりとかや ―――――――――――――――――――――――――――― [若干の解説] 「東京日日新聞」を学生と読んで、房総関係の記事を拾い出し、雑誌に史料紹介をしていますが、その過程で、新選組関係者の一人、松本捨吉の記事が出てきました。捨吉は、NHK大河ドラマ・三谷幸喜脚本の「新選組!」では、中村獅童が演じた人物で、なかなかおもしろい役回りの人物でした。武相地域の博徒の動向に関する史料がすこし集まり始めていますが、この史料もなかなか興味深いものがあります。[公開日 2006/10/1] |