| 《アメリカからの便り》 ―1880/90年代の渡米青年たち― |
| 開催にあたって【このページにあります】 |
| 1、1880年代のサンフランシスコと日本人 |
| 2、公歴のアメリカ便り |
| 3、アメリカの土となった公歴 |
| 4、「新日本」発行 |
| 5、愛国同盟の活動 |
| 6、東雲雑誌と相川之賀 |
| 7、アメリカの日本語新聞 |
| 8、南方熊楠とアナーバーの仲間たち |
| 〔南方熊楠〕〔橋本義三・福田友作・海老塚弥三〕 〔茂木虎次郎〕〔小澤正太郎〕 |
| 9、多摩の渡航者たち |
| 〔石阪陸奥の渡米〕〔橋本柳一〕 〔透谷の死と美那の渡米〕〔森久保重太郎〕 〔有山彦吉・山口清之助〕〔日野英吉〕 |
【開催にあたって】
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町田市野津田町出身の石阪公歴が、1886年(明治19)12月に学術・実業研究を目的に渡米して、今年はちょうど110年目にあたります。青年民権家だった公歴は、東大受験に失敗して「新世界」アメリカに希望を託して渡航し、カルチャーショックとアジア人差別の現実のなかで、政治運動や開拓事業に奮闘しますが、ついには日米戦争のさなかに日系人強制収容所のなかで亡くなります。かれの生涯は、強烈なアンビションと悲劇的なつまずきに彩られ、自由民権運動とアメリカに夢を見いだした明治の青年の一典型の人生として心をうちます。
その公歴の生涯を中心に、ほぼ同時期に渡米した多摩の青年たちのアメリカからの通信を集めて、かれらのアメリカ体験の意味に迫ってみようと思います。
また石阪公歴は、国会開設を目前にひかえた日本国内の政治状況の緊迫化に呼応するようにして起こった、日系人社会の政治熱高揚のなかで、政論新聞「新日本」の創刊に関与します。また「在米国日本人愛国有志同盟会」(のちの「日本人愛国同盟会」)を結成し、つぎつぎに邦字の政論機関紙を発行し、日本国内に送りつける活動に参加します。その活動は、亡命民権家による政治運動の嚆矢(こうし)として高い評価を受けています。
アメリカに希望を託した公歴の同志や、日系人社会の仲間たちのプロフィールは、魅力にあふれていて、そこには、若き日の南方熊楠(みなかたくまぐす)や高野房太郎がおり、福田友作(ともさく)や山口熊野(ゆや)、相川之賀(しが)、橋本義三(ぎぞう)、小澤正太郎らもおりました。
社会的に名声を得た人もいれば、受難の人生だった人もいます。だが、それぞれに個性的な生涯で、アメリカ体験がかれらの人生に刻み込んだものが大きかったことを想像させます。
時代の活気とアメリカ体験の大きさが、展示で表現できたらと思います。
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