「俺に訊け。」回答のネタバレ込み
警告
このページには、ゲームソフト『AIR』(Key/Visual Art's)の根幹を成すテーマに抵触した記述が含まれます。今後当該作品を遊ぶ予定がある方、まだ攻略が終わっていない方はご注意ください。
Q14
管理人様が『AIR』に御執心なのを承知の上で敢えて言おう。それでも『Kanon』の方が面白い、と。
確かに、ストーリーの深みやテーマの重みでは『AIR』の方が上である。「泣かせ」の要素だけ見ても『Kanon』に劣らない。3部構成の仕掛けも凄かった。DREAM編で自分が取ったリアクションがAIR編で自分に返って来るところなどは衝撃を覚えたものだ。
だが、キャラクターの個性、それからテンポやまとまりの良さといったトータルの「完成度」で見た場合にどちらが上か、と問われれば、恐らく大半のファンが『Kanon』と答えるのではあるまいか。
まずキャラクターだが、「ヒロインよりサブキャラの方がキャラが立っている」のは明らかに欠陥と言わざるを得まい。観鈴と晴子さんのどちらが生き生きと個性豊かに描かれているか、と言えばどう見ても晴子さんだろうし、美凪とみちるの場合もまた然り。佳乃に至っては何をかいわんやだ。姉の聖どころか犬畜生のポテトにすら負けている。唯一の例外は隠しヒロインの神奈くらいのものか。
まあ、観鈴はAIR編でだいぶ書き込まれたために薄っぺらな印象は無くなったのだが、そのあおりを食って、同じヒロインであるはずの美凪と佳乃が完璧なおまけキャラと化してしまったのはさすがに拙かろう。
(これが例えば、観鈴を救うための重要人物として美凪と佳乃が再登場する、というのであれば話が変わったかも知れないのだが……)
テンポにしても、数々のサイトやゲーム雑誌でも言われている通り、序盤はお世辞にも快適とは言えない。特に、ゲーム開始から2時間くらい経つまで実質的に観鈴と晴子さんしか登場人物が出てこない点などは、凄まじい閉塞感を憶えさせる。
しかし何より、私が『AIR』に対して抱く最大の不満、それは、
「あれだけ『空の上の少女』とか『法術』とか『はるか遠い約束』などと引っ張っておきながら、結局『たかが家族愛』に終始してしまったこと」
に尽きる。
もっと解りやすく言えば「『天空の城ラピュタ』だと思ってたのになんで『おしん』になるんじゃボケ」といったところだろうか。
スタッフの意図が解らんわけではない。往人は自分の法術で観鈴を救うことは出来なかったが、晴子にバトンを渡すことでかろうじて役目を果たす。晴子は苦しみながらも母親としての使命を全うする。観鈴は「幸せに死ぬ」ことで苦しみの記憶の連鎖を断ち切る……彼女たちの苦しみと愛の姿こそこのゲームのメインテーマであり、法術や空の上の少女はそれを神秘的に描くためのアイテムである、という寸法だ。
また、死を運命付けられた少女が周囲の愛を受け止めながら死ぬというストーリーラインは、『Kanon』の中で最高峰の出来を誇る真琴シナリオに近いものがあるだろう。
だが同じ悲劇シナリオでも、「ヒロインの死が避けられないことは解っており、主人公もそれを認めて最期の時まで寄り添うことを選ぶ」『Kanon』真琴編と、「ヒロインを救える可能性をちらつかせながら主人公が自分の力を有効活用できず、結局ヒロインを安楽死させてしまった」『AIR』とでは、果たしてどちらの方が満足度が大きいだろうか――問うまでもあるまい。
確かに、苦しみの記憶の連鎖を断ち切ることで「空の上の少女」は救われたかもしれない。だが、SUMMER編のラストであそこまで引っ張った以上、その方法は往人の法術であるべきだった。決して「家族愛に包まれて安楽死」であってはならなかったはずだ。
あれでは、神奈を救うために法術を身に付け、さらに「神奈を忘れて自分の幸せを追ってもいい」という柳也の問いかけにも「いやでございます」と笑って答えた裏葉が報われない。大体、どうしてあそこで何の脈絡もなく時間が戻って往人がカラスに転生せにゃならんのか、未だによう解らんぞ。
家族愛が悪いと言っている訳ではない。しかしああ言うストーリーにするのなら、法術だの空の上の少女といったファンタジックなモチーフはいっそ要らなかった。あるいはSUMMER編で終わらせておくべきだったのではあるまいか。
――と、以上のように私は考えるのだが、若おやじ様はどう思いますか? (市川憂人さん)
A15
概ね反論なし。
……で済ませるのは流石にアレなのでまともにお答えしてみよう。絶対にネタだと思いつつ。
ぶっちゃけた話、ゲームとしての完成度は『Kanon』のほうが高いことは否定しません――但しこれは比較問題であって、どちらの作品も私が考えるAVGの理想からは水準的にも方向性にも隔たりがあることをお断りしておきます。いちおう「月宮あゆ」が作品全体のキーとして存在しながら、それぞれのキャラクターがきちんと独自のシナリオを具えて並立している、という点においては、全体を大きなシナリオで一括りにしてしまったため指摘されたようなキャラクターの軽視が生じてしまった『AIR』よりも、遊戯性に考慮しているぶん『Kanon』のほうが優れている、という認識があります。
が、それでも一本のストーリーとして、解釈あるいはひっかき回しがしやすいという意味で、『AIR』は『Kanon』よりも「遊び甲斐」がある、と考えているのです。つまり、ゲームというよりは世界観として、まだまだいじる部分が残されている。
そしてもうひとつ、『AIR』という作品世界にあって、SUMMER編はメインではありません。あくまで非現実的な障害を動機づけるためのパーツのひとつに過ぎないはずです。それが斯くも強烈に主張してしまったこと自体が、『AIR』の大きな欠点のひとつでもあるのですが、美凪と佳乃のシナリオがそうであるように、またファンタジーの要素を大幅に導入しながらもあくまでSUMMER編の主題が別にあるように、『AIR』の主題はあくまで「家族」であることに違いはありません。法術など、過去編と現代編を繋ぐ糸のひとつ以上の意味は本来存在しない。
法術が現代編の救いとならないのも、過去から現在へと延ばされた糸がそのままの力を具えているよりは細く弱くなっているほうが自然である、という考え方をすれば自然です。まして、往人は自らの旅の真意など知る由もなかったわけですから。
そんなわけで、要素ひとつひとつの結束の弱さ、ゲームとしての弱さをかなり承知した上で、それでも『Kanon』よりも『AIR』を買っているのは、主に掘り下げ甲斐がまだ残されている、という理由に因るのです。ゲームそのものもそうですが、世間に出回っている二次創作も『AIR』の魅力的な世界観を充分に活用していない、という印象があるので。
最初の発言でご理解いただけるでしょうが、ゲームとして考えた場合、『Kanon』と『AIR』、それに『ONE』を含めても構いませんが、いずれにしても傑作とは認めながらゲームとして理想的な仕上がりだとは考えておりません。これらに執着するのは、あくまで描かれていない部分に興味を抱いているからに他ならないのです。
……なんか、何が言いたかったのかよく解らなくなってきた。
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