近況報告
最終更新日:2011/09/30 13:33
2005年5月期−200X年X月期(内容的に追加・改変した部分については青色で記しました。)
「人権は決して知識ではない。感性である。」そして、「この人権感覚を身につけるうえでの何よりの教師は、…大学の教員ではなく、人権を侵害された方々である。その方々がお書きになられたものを読み、話をできるかぎりお聞きいただきたい。教室は大学の外にもある。…そのうえで、教科書や判例等を批判的に何度も何度もお読みいただきたい…。教科書や判例は決してマニュアルではない。それと格闘するなかで初めて法学的体系力が形成されるのである。…歴史について大いに学んでいただきたい…。歴史こそ世界の人々と価値観を共有する最大の舞台だからである。法学は決して賢者の学問ではない。普通の市民による市民のための市民のための学問である。」〔内田博文(九州大学教授)の「刑法総論を学習する意味と意義」法学セミナーbT11より引用〕とても含蓄のある言葉だと思います。この言葉に、重みを増す事件が最近多発しています。憂うべきことです。
●2011年9月30日
久しぶりの近況報告になります。今年は、春の大震災に始まり、猛暑、台風による水害と、枚挙に暇のない年です。そんな中、私も人知れず闘って参りました。毎月行っている検査結果の方は、良い時もあり、悪くなる時もありと変動しておりますが、CTスキャン検査や血液検査結果を総合的に判断するに、再発を免れているようです。この一週間、体調が良く、また薬の副作用による高脂血症を改善するために、連休を中心に毎日、四、五時間歩きました。今度の血液検査の結果が楽しみです。最近は、体調が比較的良く、こんな深夜まで起きて本を読むことができるようになっています。三年前には、考えられなかったことです。あの頃は、横になったらそのまま死んだように爆睡していました。薬を服用する必要がなければ、何十時間でも寝ていられるほどに体が弱っていました。抗がん剤の怖さを知りました。
最近は、体調の波はあるものの、私の健康を心配し、私を笑わせようと落語会に誘って下さる方がいらっしゃり、よく落語会にご一緒させて頂いております。一昨日は、千代田区内幸町ホールへ「談春」、「竹丸」さんの落語を聴きに参りました。お金を稼げる芸に接し、自分も本当の意味でプロにならなければと再認識してきたところです。自己満足のための法律論ではなく、他人を助けることのできる法律をさらに身に着けなければならないと再認識する今日この頃です。
●2010年10月10日
本日10月10日午後6時過ぎに、学芸大学駅の商店街の本屋の手前から横に入った通りにある食事処(イタリア家庭料理の店)から、別れた元妻が連れの小柄な女性と出てくるところを見かけました。元気そうでした。青色のTシャツにお洒落なフレームのメガネが印象的でした。彼女は、私がマスクを着用し、杖を突いていたことと、連れの女性に気を遣っていたので、私には気付かなかったようですが、私は直ぐに彼女だと気がつきました。こんなこともあるのですね。まったくの偶然のいたずらでした。
それがきっかけで、これまでの3年間のいろんことを回想しているところです。
特に、この3年間は、私にとって大変な3年間でした。今でこそ頭髪も元に戻っていますが、当時は頭髪もすべて抜け落ち、体中の体毛という体毛も抜け落ち、抗がん剤の副作用で、爪は弱くなり、血管に炎症を起こし心臓に軽度心筋梗塞を発症し、それに気がつかないままでいたところ、肺に水が溜まり呼吸困難に陥ったり、味覚を失い食欲もなくし、握力、腕力、脚力の衰え、階段を仰向けに落ちたり、それが契機で数歩しか続けて歩けなくなったりもしました。言葉にはできない苦労をしました。抗がん治療の後、1年ほど内服の抗がん剤を服用して治療後の経過を観察してきましたが、病状維持程度の効果しか期待できないと思われていたラステッドSが私にはとても効果があったようで、昨年の10月には服用を止めました。
抗がん剤服用中止後も、腫瘍マーカー等の検査結果が安定したまま今日を迎えています。杖を頼りにしなくては歩けなかったのですが、最近では、杖はあくまでも万が一のために使用しているだけで、杖を手放しても歩行できるようになりました。
そな折に、期せずして、別れた元妻の元気そうな姿を見かけたわけです。元気そうで、とてもうれしかったです。数年前に、離婚して3ヶ月くらいの時に、街で彼女が私を見かけて私の背中をつついた頃の彼女はやつれた顔をしていて、彼女の顔を見るのもつらかったのですが、今日見た彼女の顔は元気そうでした。
みんな健康で幸せにいてほしいものです。
生、老、病、死以外の苦難は大抵解決が着くものです。今も、私に辞任を迫っている会社と孤軍奮闘しています。心が折れることもありますが、法律を学んだものとして、法律を拠り所にして、今後も、会社に対し法的解決を迫っていくつもりでおります。文字にする簡単ですが、毎日、みんなに無視され孤立化し心が折れることもたびたびです。
命ある限り頑張りたいと思っております。
皆様も、いろんなことがあるかとは思いますが、人生万事塞翁が馬、人生無常ですから、ご自分のできることを精一杯して下されば、きっと道は拓かれます。
くれぐれも健康にお気を付け下さい。
●2009年8月23日
あれから随分、時間が経過しました。昨年12月の末には、杖を突きながら、そしてタクシーを乗り継ぎながら、平原綾香さんのアルバムを購入しに行けるほどになりました。彼女のアルバムが欲しくなったのは、昨年秋にもフジテレビで放映されていた「風のガーデン」主題歌、挿入歌が私の琴線に触れていたからなのです。
「風のガーデン」という番組は、「悪性リンパ腫」に苦しめられていた私に、生と死、人生の様々なことを考える良い機会を与えてくれました。とても私に勇気と力を与えてくれた番組でした。実際に肺がんと闘いながら番組を収録していた緒形拳さんやがんと闘う主人公が疎遠だった父親、娘と息子と親子の愛を取り戻すという内容のものでした。自分の状況とダブらせて観ていました。その番組の中で流れていた曲が平原綾香さんの唄でした。彼女の唄の内容、彼女のお声が私の心を妙に揺さぶりました。
そして、あれから、8か月経過し、随分歩けるようになりました。杖は持っているものの、杖を突かずに歩行したり、ちょっとした階段なら上り下りできるようになりました。病気は、現在のところ再発を免れていることが、先週撮影したCTスキャンでも判明しています。
健康を取り戻しつつあるのか、法律の世界に戻りたいと思う気力もさらに充実してきています。本も購入して読む気力が戻って来ています。あとは、勉強をするための経済力と寿命との相談です。もう一度、勉強に専念する経済力が欲しいものです。
このホームページをご覧になって、私に、励ましの声をかけて下さったかつての教え子さん(そう言わせて頂きます)もおりました。ありがたいものと感じました。
ありがとうございます。
人の心とは、ありがたいものです。私の周囲にも私を励まし、歩くように仕向けてくれた若者、食欲不振に陥っていた私に食べるよう促してくれた若者たちがおりました。
彼らには、一生感謝です。
佐々木さん、小山さんありがとう。
時々、労わりの声をかけて下さった岡崎さん、馬橋さんありがとう。
陰ながら心配してくれていた矢形さん、プロポリスを下さった内田さんありがとう。
私を励まして下さった彼ら、彼女たちとも、会社の都合で、別れの時が近づいています。
彼らのお陰で、最近では、杖に頼らず、歩けるようになっております。30分くらいなら、息も切れずに歩けるようになりました。電車、バスにも杖を頼りに乗れるようになりました。
本当に皆さんありがとう。
●2008年11月16日
長らく、ご無沙汰しておりました。昨年の7月に原因不明の間質性肺炎に罹り、43日間の入院生活を余儀なくされたのが、事の発端です。その折パルス療法(点滴化学療法)として大量のプレドニン(ステロイド剤)を投与し、一時は、症状は軽快に向かいました。退院後、プレドニンの服用を続けながら、毎月、レントゲン検査と血液検査、3カ月に一回のCTスキャン検査により経過観察を行っていましたが、徐々に、医師の言葉が変化し始めました。プレドニンの服用にもかかわらず、肺の影がまた大きくなりつつあると…。間質性肺炎ではなく、他の病気が疑われるので、再度、気管支内視鏡検査によって肺の組織を採取させて欲しいとのこと。苦痛を伴う検査ですので躊躇しました。今年に入り、5月はじめに検査入院したところ、「悪性リンパ腫非ホジキン型」と判明しました。プレドニンは、抗がん剤の一種として使用されることもあり、このプレドニンの投与が「悪性リンパ腫」をマスキングしてしまっていたようです。
以来、3週間おきに、入院し、R-CHOP療法という化学療法を受けてまいりました。メインは、リツキサンという「悪性リンパ腫」に効果の高い抗がん剤でした。このリツキサンは、およそ2時間ほどかけて点滴するのですが、ネズミたんぱく質を利用し、悪性腫瘍にマーキングし退治するという薬剤です。とても危険な抗がん剤で、点滴時には、常時、心電計で心臓の状況を観察しながら、30分おきに、体温、血圧を測らなければならない薬剤でした。アナフィラキシーショックを起こす危険性があるための措置だそうです。リツキサンのほか、4種類の抗がん剤を毎回、3週間おきに6回に分けて点滴投与してきました。最初の4回までは、髪が抜ける程度でしたので、身体的にダメージは少なかったのですが、7月から8月にかけて行われた5回目、6回目の治療に進むにつれ、白血球の減少、血管の炎症、胃腸障害、指などの感覚障害、味覚障害等、さまざまな副作用に襲われました。未だに箸がうまく使えませんし、日常の何気ない事をするにも疲れてしまいます。洗濯物を干すのも、マラソンをしているような疲労感ですし、歩きますと、ウサギ跳びをした後のように足の筋肉が笑って力が入りません。
抗がん剤治療の極めつけは、白血球の減少による発熱・発汗による脱水症状のための緊急入院と、抗がん剤による血管の炎症が誘因となったと考えられる心不全と肺に水が大量に溜まり、呼吸困難に陥り緊急入院したことです。特に最後の緊急入院の頃から、1か月以上にわたり食欲が出ず、食事も摂れない状況が続き、10キロ以上も体重が減書し、退院後には、自宅階段から落下してしまいしました。幸いにも、骨折などはなかったのですが、抗がん剤により骨粗鬆症気味であることも手伝い、3週間以上にわたる腰痛との戦い。それ以来、杖をついても、歩行困難が続いております。最初は、1分間続けて歩くことができないくらいでした。最近では、5分くらいは休みなく歩行できるようにはなりましたが、階段の昇り降り及び通常歩行が困難なために、仕事には、毎朝・晩、タクシーで仕事に行き来する状況が続いています。帰宅するとどっと、疲れが出る毎日ですし、土・日曜日は、疲れと筋力の衰えから寝起きするのがつらく、寝たきりの状況がこの2カ月続いてきました。
ようやくこの1、2週間は、少しずつではありますが、体力の回復の兆しを感じ、寝ていていも本を読みたいとか、ちょっと買い物に出てみようという気力が芽生え始めています。現在も、9月初めからは、ラステットという内服抗がん剤を2週間服用、4週間休むというサイクルで、寛解なのか、再発の可能性があるのかの経過観察を行っています。この命が後どれだけ続くのかは、「神のみぞ知る」ですが、生き長らえられるなら、もう一度、本格的に法律の世界に戻ってみいと思っています。主治医、担当医、看護士さん、ヘルパーさんと、多くの人のお世話になりました。何か世間に恩返しできる機会が残されていることを望んでいます。死に対する恐怖というものは意外にありません。正直申しますと、生きることには疲れ果ててしまいましたが、人間とは弱いもので、目の前の苦痛から逃れるために、治療を受け入れてしまう自分に腹立たしさも感じています。
今しばらく、命ある限り、このホームページの改訂に注力するつもりでおります。よろしくお願いいたします。
●2007年2月22日
昨年暮れから新年にかけて私個人にとっては、身体的・精神的に苦しい日々が続きました。こんな時には、人間というものは、自分の人生で楽しかった時に想いを馳せるものですね。
私にとって人生で一番楽しかった時とは、何といっても妻と暮らした数年の歳月ですが、いろんな想い出があり過ぎて書き切れません。
元妻は、それくらい私の人生に大きな影響、記憶を残した女性でした。繊細な彼女は、感情の起伏が激しい面がありましたが、仔猫のように可愛いく守って上げたい存在でした。しかし、性格の不一致と私の夫としての至らなさが離婚の原因でした。
最近、いろんな事を想い出します。
彼女が生まれ育った下関の彦島を初めて訪れた時のこと(とても幸せな一週間でした)、
下谷の朝顔市で朝顔を買ったこと、
箱根のアクセサリーショップで2000円程度のネックレスを買った時「お金のないあなたが私のためにネックレスを買ってくれた」(当時私は大学院生でした)と泣き出したこと、
鎌倉に一緒に出掛けたこと、
横須賀から久里浜まで雨上がりの夕暮れ時を歩いたこと、
母に脳梗塞の疑いがあるということで一緒に脳梗塞に効果があるという梅肉エキスを探し回ってくれたこと、
雪の降りしきる新潟の母の葬儀に、長男の妻として気丈に振舞ってくれたこと、
彼女の背中にきびの治療のために毎日抗生物質軟膏を塗って上げたこと、
冬の寒い日に根岸近辺を「三渓園」を探し回ったこと、
このページでは書ききれないくらいいろんな想い出があります。
大切な財産です。
最近、走馬灯のようにいろんな思い出が私の頭を過ぎっては消えて行きます。
もう思い出なんですね。
それとも、私が弱っているからいろんな事を思い出すのかな?
元気で彼女は暮らしているのかなあ。
幸せでいるのかなあ。
●2006年11月17日
何かといろんな事の多かった1年でしたが、人生の転機を迎えているような気がしています。まだ、この1年を総括するには早いかもしれませんが、総じて良い年であったかと思っています。
●2006年1月23日
日々の暮らしに追われ、しばらくホームページを改築することができずにいました。皆さんお元気でお過ごしでしょうか?最近、街を歩いていますと、小田さんの歌「風の坂道」を口ずさんでいる自分に気がつきます。そんな今日この頃、日曜日の深夜に、ふとテレビのスイッチを入れますと「人間ドキュメント 58歳の小田和正」が放映されていました。私の年代には、小田さんたち団塊の世代は羨望の的でした。それが正しいかどうかは誰にも分かりませんが、彼らは自分たちの信ずるものに向かってひたすら走る事の出来た世代です。私の世代に比べたらはるかに熱い世代です。団塊の世代の一員である小田さんの生き様を見て私の心の中の眠っていたものが目を覚ましたような気がしています。ラブソングという小田和正ワールドも心揺さぶられますが、新たな境地を開いた小田さんの歌も今後楽しみになってきました。「風の坂道」のように、少なくとも、「言い訳をしない人生」、「怒りを忘れない人生」、「流されない人生」を送りたいものです。健康に不安を覚え、言い訳して来た自分を恥じます。
こんな私にも、ある女性のお陰で、ありふれた毎日が輝いて見えた頃がありました。ちょっと変わったところのある女性でしたが、可愛い女性でもありました。私に叱られると、ぼろぼろ涙を流し、私に詫びました。ありふれた毎日を彼女は輝いた日々に変えてくれました。最愛の女性でした《過去形が何とも哀しいですね》。今、冷静になってあの頃を思い返すに、なぜ、彼女のことを無条件に受け入れて上げられなかったのか、悔やまれてなりません。たしかに、精神的に追い込まれている自分がいました。でも、どうして彼女を無条件に受け入れて上げられなかったのか悔やまれてなりません。彼女を苦しめた事が悔やまれてならないのです。彼女と別れて一年と二ヶ月が経ちました。今の自分なら、彼女を無条件に受け入れられと思います。でも、彼女の心も、眼も、きっと私以外のものに向いているのでしょうね。
●2005年8月29日
新たな世界に飛び込んで早3カ月が経ちました。夢と期待を胸に歩き出した道ですが、理想と現実の狭間に日々悩む今日この頃です。「コンプライアンス」と声高に叫ぶ割には、「何がコンプライアンスであるか」も解らない人が多いようです。みな日々の仕事に追われているのですから、「コンプライアンス」の真の意味を理解できなくても致し方ないとは思うのですが、せめて理解しようとする心だけは持って欲しいものだと思います。訴訟を起こす者がいないから、違法行為が露呈しないだけなのに、問題が発生していないのだから、我々のしている行為は適法な行為であると信じて疑わない愚かな人の何と多いことか。愕然とします。
そんな暗澹たる思いの中、教え子たちがメールを寄せてくれています。国税専門官に合格し、研修を終え、赴任の地の決まった者。埼玉市役所に合格した者。川崎市役所に合格したと知らせをくれる者。風邪の便りで、岐阜県庁一次試験に合格したという者。公務員試験には合格できなかったものの、それぞれ道を決めて頑張っている者。皆それぞれの人生を歩き出しました。嬉しいものです。また、このホームページを通じて知り合った伊豆在住の主婦で、福祉に従事しようと一生懸命頑張っている方。
私も、彼らに負けてはいられません。本当の意味で、法律の専門家として一日も早く、陽の当たる所に出なくてはなりません。
●2005年5月21日
皆さん、ご無沙汰しております。昨年来、個人的にさまざまな出来事があり、最愛の女性との別れもありました。そして、本年5月19日より、新しい船出を致しました。全く今までとは異なる環境で働くことになりました。これまでの法律の勉強が活かせるのではないかと飛び込んだ世界ですが、法律の理想論と現実の世界(実務)との乖離に驚くことばかりです。
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Revised: 2011/09/30
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