エレウシスの秘儀

 現代において多くのオカルティズムを標榜する集団は何らかの秘密の伝承、儀式を持っていることが多く見受けられます。彼らは自らが保持してきた秘密を絶対に外部に漏らさないと誓った者のみを彼らの秘儀に参加させ、この儀式に参加した者を宗教的(または魔術的)に特別な能力や権威を持った者であると考えるのです。(もっとも最近の魔術結社は出版物や、インターネットを通じて盛んに自らの儀式内容を公開していますので、このような傾向はなくなりつつあります。)このような「秘密の知識」はむしろ限られたメンバーにのみ共有されると言うことによって、その知識の権威を維持しています。この「秘密の知識」はとても多くの類似した例を世界中で見つけることができます。そして錬金術もその代表的な例の一つです。中世末期の博物学者アグリッパは錬金術についてこのように語っています。

 「秘儀に参入する際に沈黙の誓いを立てることがなければ、この術についてもっと語ることができたものを。」

錬金術師たちは自らの技を秘密にするのは、邪悪な者が錬金術の知恵を手に入れるとキリスト教社会が深刻な危機にさらされると考えていたからです。しかし、今日ではこの錬金術師たちの秘儀参入の儀式は、より歴史的な原因によって解釈されています。詳しい内容はヘルメス主義の説明の際に譲りますが、初期の錬金術文献に古代の秘儀に見られる多くの特徴が見いだされるからです。ヘレニズム・ヨーロッパ的な錬金術の成立した年代ははっきりとはしませんが、おそらく紀元1世紀から4世紀頃には完成していたと考えられています。そしてこの時代は帝政ローマの支配の下、帝国の全土で様々な密儀宗教が流行していました。つまり、古代において錬金術を生み出した人々はおそらく何らかの秘儀のメンバーであったと考えられるのです。そしてこの時代に栄えた多くの密儀宗教に先だって成立し、密儀宗教の原型の一つと考えられるのがギリシアで生まれたエレウシスの秘儀なのです。



エレウシスのデメテル神殿遺跡

 エレウシスはアテネ市の郊外にあり、現在はそのすぐ近くに世界遺産に登録されているダフニ修道院が建っています。この場所でエレウシスの秘儀は紀元前15〜16世紀には始まっていたと考えられ、それからローマ帝国の末期まで2千年近くも儀式は続けられました。そしてこの儀式がこの場所で行われるようになった由来はギリシア神話の豊穣の女神デメテルと彼女の娘ペルセポネの神話の舞台がまさにこのエレウシスであったといわれているからです。その神話は次のような物です。


 かつて世界に冬は有りませんでした。地上はいつも暖かで花が咲き乱れていました。デメテルはクロノスとレアの2番目の娘でガイア、レアに続く大地の女神でした。彼女は結婚はしていませんでしたが、父親の違う子供が何人かいました。中でも目の中に入れても痛くないほどに可愛がっていたのが、ゼウスとの間にできたペルセポネでした。デメテルは娘に魔法の絵の具を与えました。この絵の具で春の花に彩色するのがペルセポネの仕事でした。

 ある年の4月、友達のニンフと花を摘んでいたペルセポネを冥界の王ハデスがさらって行ってしまいました。花嫁にしようとしたのです。
 愛娘が行方不明になったので、デメテルはひどく嘆き悲しみ、仕事を放り出して、九日間娘を探し続けました。しかし、実はいつまでも独身であるハデスにペルセポネを花嫁に勧めたのはゼウスでした。このペルセポネの誘拐場面に居合わせたのは太陽神ヘリオスでした。彼からペルセポネはハデスの花嫁としてさらわれたことを聞いたデメテルはゼウスに娘を返すように迫りました。しかし、ゼウスはそれはできないと突き返します。彼女は怒って仕事を放り出してオリンポスから出ていってしまいました。すると大地の女神に見捨てられた大地はたちまち何も実を結ばなくなってしまいました。


ブーシェ『プロセルピナの略奪』

 デメテルは老婆の姿でエレウシスに向かい、そこに腰を下ろしました。そこにこの土地の王の娘が通りがかり、疲れ切った様子の老婆である彼女を見て不憫に思い、女王メタネイラの末の息子の乳母になってくれないかと訪ねました。デメテルも乳母として子供を育てることを受け入れました。
 彼女はこの王子デモポンを大変にかわいがり、彼を神のように永遠に年老いない者にしようと考えました。彼女はデモポンの体に不死の食物アンブロシアを擦り込み、夜には人間を不死身にする儀式として彼を火の中に入れました。しかし、夜になってデモポンが居ないことに気が付いた彼の母親がその場面を見てしまい、彼女のあげた悲鳴で儀式は中断されてしまいます。儀式が中断されてしまったことにデメテルは怒り、本当の姿を現して彼女の息子は不死になり損ねたことを教え、彼女のためにこの地に神殿と聖域を作ることを命じます。人々は女神に恐れおののき、すぐに神殿を建てました。

 デメテルはこの神殿の中で娘のことを嘆いて籠もったきりになり、大地は完全に枯れ果ててしまいました。ゼウスは彼女にオリンポスに戻って仕事をするように頼みましたが彼女は娘が帰ってくるまでは決してここを離れないといって、ゼウスの頼みを決して聞き入れませんでした。
 これにはさしものゼウスも打つ手はなく、ついには彼女の言うとおり、ハデスにペルセポネを母親の元に返してやるようにと使いの神ヘルメスを向かわせました。そのころ冥界ではペルセポネがハデスにもてなされていました。金銀宝石を積み、優雅な踊り子や歌い手がペルセポネを楽しませようとしました。しかし、ペルセポネは長いことハデスに心を許しませんでした。彼女は夫となったハデスと口もきかず、何も食べませんでした。しかし、そんな彼女も空腹には勝てず、ついに冥界の柘榴の実を4つ(6つとも言われている)食べてしまいました。冥界の食べ物を食べたものは、地上には帰れないと言う決まりがあったので、彼女は地上に帰れなくなってしまいました。
 ゼウスはデメテルとハデスの言い分を聞き、ペルセポネが食べた柘榴と同じ4ヶ月だけは冥界の夫の元で過ごし、それ以外は母親の元に帰れるようにしました。
 デメテルはこれを受け入れ、オリンポスに戻ることになりました。そして帰るときに、エレウシスの神官たちに決して部外者にはその内容を明かしてはならない、秘密の儀式を教えるのです。
 こうして、大地は豊かな実りを取り戻しましたが、ペルセポネが冥界に帰ってしまう4ヶ月だけは、デメテルは姿を隠してしまうので大地は枯れてしまうようになりました。毎年冬がやってくるのはこういう訳なのです。

 このようにエレウシスで行われていた秘儀は、大地の女神に関する儀式でした。多くの宗教において地母神が母権社会の象徴であり、社会が母権社会から男性中心の社会に移る過程を反映して、地母神の多くは男性の最高神との結婚や、新たな神に取って代わられる過程を示した神話が後に生み出されることが多く見受けられます。ギリシア神話においてもすべての者の母であり、大地の女神であるガイアは自ら生み出した天空の神であるウラヌスと結婚し多くの子供たちをもうけますが、彼女はウラヌスが子供の巨人たちを閉じこめてしまったことを怒って、息子であるクロノスにウラヌスを殺させてしまいます。また、ガイアの娘でクロノスの妻であったレアもクロノスが息子に取って代わられることをおそれて息子たちを次々に飲み込んでしまうのを怒り、末の息子であったゼウスを生まれたときに隠してしまいました。そして、成長したゼウスと彼の兄弟たちはは父であるクロノスと彼の率いる、ティターンたちと戦いますが、そのときに、ゼウスの祖母であるガイアはウラヌスによって閉じこめられていた巨人たちを解き放つようにゼウスたちに教え、巨人たちの働きでゼウスたちは戦いに勝利するのです。そして、デメテルもまた娘の父親であるゼウスに娘を返すことを認めさせます。このようにギリシア神話において地母神は夫である神々の王も一目置く強力な力を持った神であり続けました。つまりギリシア神話において地母神は生命を創造する秘密の力を持つ神々として、男性社会の中で主神を中心とした公の信仰とは別の独特の神秘的な信仰の形を持っていました。そのなかでももっとも大規模で長い伝統を持っていたのがエレウシスのデメテルの秘儀でした。

 では、この秘密の儀式の内容とはいったいどのような物だったのでしょうか。残念なことにその儀式の内容は紀元396年のゴート人アラリックのエレウシスの聖域の破壊によって永遠に失われてしまいました。わずかに残っている資料からはその儀式が冥界に下ったペルセポネのとりなしによって死後の世界における幸福を保証する物であったことが窺えます。そして、儀式が行われたのは年に二回、春の小密儀と秋の大密儀の二回でした。大密儀は八日間にわたって行われ、最初の四日間はアテネ市の祭壇に供物を捧げる儀式を行い、五日目から密儀の参加者たちはエレウシスに向かい、そこで秘密の儀式に参加しました。この儀式自体がどのように執り行われたかは決して人に話してはならないことになっていたため謎のままです。


ポンペイの秘儀荘の壁画 富裕な市民の邸宅であり、ここでディオニソスの密儀が行われていた。

 エレウシスで執り行われていた秘儀はその後多くの密儀宗教の祖型となりました、ギリシアにおいてはディオニソスの密儀、オルフェウスの密儀などがうまれ、小アジアのフリュギアではキュベレとアッティスの神話をモチーフにした密儀が生まれます。ギリシア神話の世界以外でもエジプトではイシスとオシリスの密儀を執り行う教団が、ペルシアではミトラ教が現れます。これらは皆、帝政ローマ期に大流行し当時の地中海の宗教全体が密儀宗教の影響を受けていると考えられているのです。そしてその影響は錬金術の直接の母胎となったヘルメス主義にも色濃く反映されているのです。

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