気ままな山歩き番外編<氷室まつり氷詰め(手箱山)>  2001年2月18日
*この番外編は「手箱山」をUPした時点で、掲載場所を移行する予定です。

今でこそ、冷蔵庫を開けさえすれば、盛夏でもあの冷たい氷と出会うことができるが、ほんの少し前までは、夏の氷は最高の贅沢だった。
ボクがまだ子供の頃、我が家に冷蔵庫が来た時は、テレビ到来以来の大事件だった。冬でさえ、つららをしゃぶるのが大好きだった少年にとって、夏のかき氷はこの上ないご馳走だったから。
今でも苺シロップの赤い色は、甘くせつないあの頃を思い起こさせる。

そんな贅沢な夏の氷に、今から1200年以上も前から接していた人たちが居た。
彼らは貴重な夏の氷で「冷用酒」や「かき氷」を楽しみ、高熱の時の「氷枕」や、死者の保存(今のドライアイス代わり)に使用していたらしい。
高貴なごく一部の人々のために、長い「氷室(雪屋)」の歴史があった。

しかし、今、その必要性も氷という物質的価値も問われない中で、氷室の存在とは何なんだろう? 
年を追うごとに盛大になる「氷室まつり」にかける村人や参加する人たちの思いは何なのだろう?
「これは参加してみなきゃわかんないだろうな、、、」
加えて、間もなく「気ままな山歩き」で「手箱山」を紹介しようと思えば、「手箱山と氷室」は切っても切り離せない関係でもある。


手箱山山腹にある氷室にて、記念撮影に集まる参加者のみなさん。

「氷室まつりに行こう!」、そんなボクのわがままな誘いに気軽に応じてくれたのは、友人のNさんとY子さんのお二人でした。
3人とも、この時期の早朝の凍結を避けて、前夜祭から参加することにした。

しかし、ちょっとしたアクシデントもあって、大豊町での待ち合わせが遅れた分、前夜祭の会場「本川村越裏門(えりもん)公民館」には、30分遅れで到着。会場ではすでに盛大な交流会が催されていた。
参加者はざっと100名以上。顔見知りの人が数人おいでてお互いにびっくり!その中には顔見知りのフィリピン人(海外研修生)の方も。
テーブルには、おでんやアメゴ(雨子)、雉の団子汁、手作りコンニャクなど心づくしが並ぶ。なかでも「わさびのしらえ(白和え)」は絶品でした。
にぎやかな交換会も記念撮影を終え、午後9時頃には全員持参したシュラフにもぐり込み就寝へ、、、

翌朝はほとんどの人が午前5時頃には起床。しっかりと朝食を摂って送迎のバスを待つ。公民館から登山口までは送迎バスで30分足らず。
登山口の対岸にある「大瀧の滝(おおたびのたき)」は見事な氷結である。


氷結した「大瀧」を背景に、登山準備を進める。

ここで、室に詰める「オガクズ」や昼食の「猪汁」の材料などを各自ザックに詰める。
氷室まつり実行委員長山中さんの簡単な挨拶のあと、いよいよ出発。

一昨日の寒波で、登山口からすでに一面の雪。
川を渡るとZの登りが続く。


「大瀧の滝」のそばの手箱山登山口からすぐに、吉野川源流部の清冽な流れにかかる橋を渡り氷室へと向かう。

大きな水場を2箇所過ぎて、めいめい小休止をとりながら歩を進める。
周りは植林で展望はきかない。黙々と上をめざす。


登るにつれて雪が深くなる。杖がわりに持つ木の枝は、氷室での昼食「猪汁(ししなべ)」を煮る燃料となる。

登山口からおよそ2時間で尾根に出る。


尾根の上り坂で後方に目をやると、冠雪した西黒森などの稜線が美しい。

ヒメシャラやブナの尾根を進みやや急な登りが始まると氷室は近い。


氷室まではもう一踏ん張り。地元の小学生も息を切らしながら頑張っていた。