歯科剣法:原発ジャック
 この作品は『徳歯会報』96年9月号〜10月号に掲載された『歯科剣法:一撃必殺』
を改題、加筆改稿したものです。


(1)
「トーリャー!」
朝靄に煙る紫波神社の境内に、鋭い気合が轟いた。
 歯科医・焼畑二十郎は、居合い抜きの達人である。今朝も練習に余念がない。
片膝をついた姿勢で、左手の甲を内側にして大刀を抜く。刀身が3分の2ほど鞘から抜けたところで、
右手拳骨にて刀の背を押して上方に斬り上げる。これが焼畑流居合い術の奥義『即抜即死剣』である。
敵の眼前で、目にも止まらぬ早さで刀身が一回転するので、風が起こる。その風を感じたときには斬ら
れているという秘剣である。
 ただし複雑な剣技は時として失敗をよぶ。ひとつタイミングがずれたら抜刀できずに二の腕を切って
しまう。失敗しないためには日ごろの鍛練がかかせない。

 しかし平成の世、二十郎の居合い術は、何の価値も持たなかった。
以前テレビの『ピックリ人間』に出て、藁製の人形10体を一瞬にして斬り倒したが、ただ好奇の目に曝
されただけであった。

 テレビを見て入門を申し込んで来るものもあった。
二十郎には子供がなかったので、普通の武道家であれば門弟をとって、後継者を育成せねばならない。
しかし焼畑流は暗殺剣であり、本来は歴史の暗部に置き去りにされるのがさだめである。
二十郎は自分が最後の焼畑流の使い手であると決めていた。
 それを考えると鍛錬が虚しく思えることもあった。
何の役にも立たぬ剣法。
テレビの見せ物。
 自分は何のために練習を重ねているのか。
歯科の仕事は年々減っており、練習量はそれに反比例して増えている。二十郎の疑念も増加していく。
 精神修養のための鍛錬?そんなことをしてどうなる。
ええい!そんな迷いを吹っ切るように必殺の「即抜即死剣」が静寂した朝の空気を切り裂いた。


(2)
 この日、焼畑こ十郎が属するT県歯科医師会会長・凹田久松は、T県樺島原子力発電所に見学に訪れていた。
樺島原発は、付近住民の強い反対を押し切って建造されたため、現在でも定期的に県の有識者等を招いて安全
性の説明会や見学などが行われている。しかし凹田は特に原発問題には関心はなく、今回の見学は退屈以外の
なにものでもなかった。

 原子力発電所の心臓部である炉心は、近接した4箇所の監視室を持つ。
炉心を間近に見たのは初めてであったが、凹田は何の感慨も示さなかった。
「何かご質問はあるでしょうか」凹田に案内係が尋ねた。やはりここは何か質問した方がよいだろう。
しかし凹田は事前に何の勉強もしてこなかったので、とっさには質問が思い浮かばなかった。
案内人は「何か質問は」と急かした。
「う…あの、その・・・げ、原子は何処にあるのでしょう?」
 案内係は凹田の質問には答えなかった。冗談だと思ったのか?凹田は少し腹が立った。
炉心監視室に嫌な空気が流れた。

 そこに突然、五人の男が入ってきた。男達は職員の制服を着ていたが、知らない顔ばかりである。
「あなた方は誰です」と案内係は男達に尋ねた。
 男達は何も答えなかった。皆40才くらいで長身。プロレスラーのようなごつい体つきをしており顔つきも
凶暴である。どう見てもただ者ではない。
 案内係は危険を感じ、警報のスイッチを押した。
 どうやら事件に巻き込まれてしまったようだ。(こりゃ昼飯が遅れるぞ)凹田は腹をなでた。

(3)
 焼畑二十郎は午前中の診療を終えた。
といっても患者はわずか1名である。体力が余っているので、昼飯前にもう一練習して汗を流すことにした。
二十郎は診療室に設えた刀剣ケースから練習用の模造刀を取り出すと、片膝を付き「即抜即死剣」の構えをと
った。
 その時、診療室のドアが開き、一人の男が血相を変えて飛び込んできた。
患者ではない。二十郎は逆手抜きで模造刀の鞘を払うと、男の眼前に真横に刀身を突きつけた。
模造刀は男の視野に対して垂直な位置でピタリと止まった。
 男は視界を上下に両断されたような錯覚に陥り「ヒイ!」と声を漏らし、その場にしゃがみ込んだ。
「何奴!」
「や、焼畑先生ですね。私、警視庁の尾根元というものです!」
 何!警察。今度は二十郎が慌てた。実は近年、真剣の所持許可の申請をしていないのだ。
銃刀法違反だ。二十郎は模造刀を鞘に納めると、そそくさとケースに戻した。
そしてケースの中の真剣をこっそりと奥に移した。
「いやあ、刑事さんとは知らず失礼しました。なあに、今のは模造刀ですし、ケースの中も全部模造刀ですよ
ワッハッハ!」
 二十郎はわざとらしく言い訳をしたが、尾根元刑事は怪訝な顔をした。
「先生、真剣はお持ちではないのですか?」
「ないない!」
「…それは困った。いや、それでは刀はこちらで用意します。とにかく行きましょう」
おやおや、どうも話がおかしい。
「行くって、どこへ行くんですか?」
「大変なことが起こったのです。焼畑先生に是非お願いしたいことがあって…。詳しくは車の中で話します」
 二十郎は診療所の外に停めてあったパトカーに押し込められてしまった。
パトカーはサイレンを鳴らして走りだした。
 それを見ていた近所の口の悪い主婦たちは、何やらこそこそと話し合っていたが、それは二十郎にとってう
れしい噂ではないはずだ。なにしろ二十郎は普段から「刀ばかり振り回している危ない奴」というレッテルを
貼られていたのだから。

(4)
 車中で二十郎は樺島原発で大変な事件が起こっていることを聞かされた。
原発に侵入した5人組が炉心監視室を占拠。案内係一人と見学者一名を人質に立てこもっているというのだ。
 当初、原発反対派の犯行かと思われたが、犯人の声明によると目的は金だという。
要求金額22億円。
 期限は今日いっぱい。要求に応じられぬ場合は、人質の安全を保証しないだけでなく、爆弾で炉心監視室を
爆破するという。
「犯人は、歯科医師会関係者に金を持たせて、炉心監視室まで来るように言っています」
「何故?なぜ歯科医師会会員でなければならないのです?」
「人質の見学者というのはT県歯科医師会会長なのです。会員なら会長と面識があるはずなので、偽装警官な
どでないことがわかるというわけでしょう」
「その金を運ぶ役が私ですか?」
二十郎は、まずいことになった、と舌打ちした。
「犯人は金を確認すると人質を連れて安全なところまで逃げる。そして遠隔操作で炉心監視室を爆破すると思
われます」
「すると、どうなるのです?」
「低い確率ですが放射能漏れが起こります。その混乱に乗じて犯人は逃走するつもりでしょう。放射能漏れが
起こった場合、国内最悪の原発事故になります。これを阻止するためには、犯人5人が逃走を開始するまでに
逮捕しなければならない。発電所外に出たところで狙撃したいところですが、おそらく遠隔操作のスイッチを
全員が持っているため、一人でも外すとスイッチを押される」
「ガスを流して眠らせるのはどうですか?」
「そんな即効性のガスはありません」
「どうしたらいいのです」
「そこで焼畑先生!あなたの出番なのです。あなたが金を持って監視室に行く。犯人が金を確認している時、
監視室の電源を切る。監視室は真っ暗になる。その時、あなたは隠し持っていた刀で、犯人全員を斬る」
「そんな…」
 尾根元刑事の案はあまりにも荒唐無稽であった。もっと効果的かつ安全な方法があるはずだ。
飛び道具の方が確実なのではないか。
「まず、拳銃は無理です。T県歯科医師会会員に射撃経験のあるものはいないし、もしいたとしても炉心監視
室で拳銃を発射するのは危険です。それた弾が思わぬ事故を引き起こす…」
 原発とは、そんなにデリケートなものなのか?
それでは爆破が行われた際の放射能漏れの確率は、尾根元刑事が言うほど低いものではないのではないか?
原発の知識のない二十郎には、真意がはかりかねた。
「実は、あなたが以前テレビ出演したのを見ていたものがあったのです。あなたは信じられないような剣技
をもっている。しかもそれは竹刀剣術ではなく、本当に人を斬るための剣術だというじゃありませんか。そん
なあなたが幸い歯科医師会会員でもある、ということで、急遽この方法を考えたのです。何か不備な点があり
ますか?」
「不備?不備も何もない!めちゃくちゃだ。私はスーパーマンじゃないんだ!真っ暗な中でどうやって、人を
斬るのです!」
「犯人は侵入の際、発電所職員の制服を着用して警備員の目を欺いたのです。この制服は安全対策のため螢光
塗料が織りこんであるので暗闇で光るのです。あなたはそれを目安に斬ればよい」
『斬ればよい』、たって、そんなアホな話があっていいはずがない。二十郎は、これは悪い冗談に違いない
と思ったが、尾根元の目は真剣そのものだった。
「そんなこと私にはできません!藁人形なら1秒もあれば5体は斬れます。しかし生身の動く人間ですよ。最初
の一人を斬った時、声を上げたらどうします!しかも…犯人全員の動きを止めるということは…殺すか、それ
に近い状態にするということでしょう。私は生身の人間など斬ったことがない。ましてや殺すなんて。私は医
師である。人の命は奪えない」
「先生!爆破により事故が起こったら…何十万人の命がなくなるのです。いや、もっとひどいことになるかも
しれない。お願いします」
 二十郎は黙って考えている。
(私の剣を活かす時が来た。無目的に続けてきた鍛練の成果を試す時が。しかし、多くの人命を救うためとは
いえ…人を斬れるだろうか・・・)
「先生!お願いします。やってくださいますね!」
尾根元刑事は泣くような声で懇願した。
 二十郎は決心した様子でパッと目を開いた。
「先生!やってくれるんですね!」
「診療所にパトカーを戻してくれ」
「え!先生…やっぱり駄目ですか…」
「刀をとってくるんだ。愛剣胴太貫を使う。人を斬るための戦場刀だ。手入れは十分してある!」

(5)
 外から見ると樺島原発は、普段と変わらぬ様子である。
事件が事件だけに、ぎりぎりまで一般市民には通知しないという方針であった。できれば闇から闇に事件を葬
り去りたいというのが当局の考えであろう。
「早く通知して安全な場所に避難してもらう方が良いのではないかなあ」
二十郎が咳いたが、尾根元刑事は何も言わなかった。
 事件が報道されるとパニックが起きる。しかし当局が恐れているのはそれではない。
事件をきっかけに原発反対運動が強化されることを恐れているのである。
 ギリギリに通知されても遅い。放射能汚染はガス漏れではない。
本当に人命が専重されているなら、少しでも早く避難勧告を出すべきである。警察、自衛隊はパニックを回避
するよう努力すべきである。
 しかしそうしないのがこの国のやり方である。
結局この地域の尊い人命を守れるのは、歯科医:焼畑二十郎だけなのだ。
 必殺の暗殺剣、焼畑流「即抜即死剣」は、平成の世の矛盾を叩き斬れるのか?

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