懐かしいSFジュヴナイルの世界にタイムスリップしましょう!           
三一十が選んだ名作珍作の数々。カバーアートと無駄口エッセイでお楽しみください。

『明日への追跡』(光瀬龍)
 眉村卓と光瀬龍。
この2人が我が国におけるSFジュヴナイルの二大巨頭であることは疑いようのない事実である。
 しかしこの2人の作品は色々な面で対照的なのだ。
優等生を主人公とし、ストーリー展開も知的で端正な眉村卓に対して、光瀬龍はやや粗暴なガキ大将的な主人公を配し、物語は波乱万丈に富み時として暴力的である。
 それは、二人の代表作である『なぞの転校生』(眉村卓)とこの『明日への追跡』(光瀬龍)を比較すればよくわかる。
 両者とも『謎の転校生』を扱いながら、淡々とささやかな事件の連鎖で謎を深めていく眉村と、「殺人」を含む強烈な伏線を張る光瀬。
最後まで都会を舞台にする眉村と、ローカルな舞台に移動して大団円を迎える光瀬。
 その結末も、スッキリと明解な眉村に対して、いくつかの謎を曖昧にして余韻を与える光瀬・・・と全く相反する関係の両者なのである。
 面白さは両者とも甲乙つけ難いが、私はダイナミズムの点で光瀬を買う。

『黒の放射線』(中尾明)
 『黒あざ病』の恐怖。
顔面がある日突然に真っ黒な痣で覆われる。このグロテスクな病に子供なら誰しも戦慄を覚えるだろう。
 後半、スペクタクルなSFに転じてからは魅力が減じる(これは筆者中尾明の本領が大掛かりなSF的スペクタクルに向いていないからであろう。それは後に論ずる怪作『いて座の少女』で実証される)が、前半だけでも読む価値がある。
醜形差別の凄まじい描写は、大人の読者も驚愕だ。現在では、少々問題になる可能性も大。

 少年時代、私の友人はこの本を読んで、大変なショックを受け、フィクションの『黒あざ病』を現実のものととらえ、毎日鏡を覗いては、顔のホクロが増殖してないかどうかをチェックしていた。

『まぼろしのペンフレンド』(眉村卓)
 
文通という趣味を今でもやっているのは暴走族だけだ。(暴走族専門誌『月刊チャンプロード』を読むべし。その『文通コーナーで友達を作ろうぜ!』のコーナーの充実度には、目を見張るものがある)
 実はこの作品、そのタイトルに反してあまり文通自体は内容に大きく関わっているわけではない。事件の発端、ちょっとしたきっかけにすぎない。
 しかしその『ちょっとしたきっかけ』となる『ささやかな事件』こそがジュヴナイルSFの醍醐味であることを知っている眉村は躊躇せずにこのタイトルを冠したのでは?

『時をかける少女』(筒井康隆)
 この作品は原田知代主演の同名映画に侵されてしまったなあ。
 この原作は、とても機械的な文章で書かれた、ちょっと冷たい印象を受けるものだが、映画を見た後でこの原作を読むと、どうしても主人公は原田知代であり、その舞台は尾道の旧い町並みであり、とても甘酸っぱいリリカルな青春ものに感じられて仕方がない。
 それだけ映画が素晴らしい出来栄えであったということではあるが、それに飲み込まれてしまったこの原作のパワーは、やや弱かったのかもしれない。
(原作の冷徹な雰囲気はNHK少年ドラマシリーズの『タイムトラベラー』の方がよく伝えていると思う)
 数多いSFジュヴナイル作品の代表格にされることが多いこの作品ではあるが、それはテレビ、映画、そしてカリスマ作家筒井康隆といった作品周辺の環境から導かれた地位であるような気もする。
 決して駄作凡作ではないが、やや持ち上げられ過ぎている作品だと思う。

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