歯科怪談 恥辱風呂

作:三一十四四二三

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(1)

 20畳ほどの巨大な浴場。
総檜作りの8角形の浴槽が中央にあり、白濁した湯がなみなみと張られている。これは東北のさる温泉からはるばる運ばれてきた下半身に効能がある秘湯なのである。
 その浴槽に一人の痩せた男がつかっている。
風呂には普通、全裸で入るものだが、男は白い浴衣をまとったままである。これは徳川時代の将軍に倣ったもので、浴衣の繊維が湯を吸って体にまとわりつく感触は、実行したものにしかわからない気色の良さがある。
 ややぬるめの適温。泉質は肌に優しく、硫黄の嫌な臭いは香草によって打ち消されている。夢心地の入浴であるはず。
 しかし男の顔は険しく、その両眼には生気がない。
男は思う
(今宵こそは....今宵こそは...)

 しばらくすると浴室にハッピ姿の初老の男が入ってきた。
初老の男は、朗々と口上を述べ始めた。
「今宵の趣向は、女人十人による『大奥浮世風呂』でございます」
 浴槽の男は、身を乗り出して尋ねる。
「爺!してその女人達は、商売女か?それとも.....」
「お殿様、今宵は特別サービスでございます。女達は皆素人でございます」
「おお!そうか職業女には飽きてきたところ。早う!早う通せ!」
 どこからか拍子木の音が聞こえてくる。その音にあわせて浴室にぞろぞろと裸の女達が入場してくる。
その数、十人。
 男の眼に希望の光がさす。しかし湯気の向こうに立つ女達の白い裸身に眼をこらすと、その希望の光は失せていくのだった。
「爺!これはいつもの女達ではないか!化粧を変えてもすぐにわかるぞ!」
 男の悲痛な叫びが豪奢な浴室に響く。女達は、そんな男めがけて、駆け寄ってくる。
「お殿様!杏歯科の幸代でございます!」
「海豚歯科の希有子でございます!今宵は私めの技巧にて...」
「お殿様!私をお忘れになって?漬歯科の茄子枝よ」
「私は烏賊歯科の鯣子よ。」
 女達は皆、地元の歯科医院の院長夫人である。彼女達は口々に自分の歯科医院名をアピールしながら、殿と呼ばれる男に裸身をすり寄せていく。
 しかし男の顔には嫌悪の表情が浮かぶ。
(や..やめい。汚らわしい)
 この年増女達ではどうしようもないのである。かえって体に悪い。男は
「皆のもの。今宵は多忙な中よくきてくださった。しかし、どうも今日は特に体調が優れないようじゃ。わざわざ出向いてくれたことには感謝する。それなりの配慮もする。しかし今宵は...どうかお引き取り願いたい」と言った。
 女達は『まあ残念』『お殿様、お体をお大事に』などと心にもないことを言いながら、去っていった。

 女達を見送って男は言った。
「ああ...私の体を回復しうる、若く、美しく、そして乙女の羞恥心をもったおなごはおらんのか....。商売女はわざとらしい。会員の女房は欲が眼について気が失せる。それに皆、年増で気色が悪い。爺!若い会員の女房は来てくれないのか?あるいは娘を差し出そうという奇特なものはおらんのか?」
 男の問いに爺は、渋い表情で答える。
「はは...。手配は怠っておりませぬが、無理強いすると犯罪になりますゆえ。また現在のところ、殿が喜ばれるような若く美しい女性を女房にしておる会員は、わが以下川(いかがわ)市にはおりません。また娘の方は、さすがにちょっと...」
「わが以下川市に新規開業を希望している若い歯科医は多いと聞くが?」
「先代からの取り決めで、欠員が生じぬ限り新規開業は許さないということになっております。しか近々、駅前歯科の院長が高齢を理由に引退するという話がでております。その際は、若い女房を持つ歯科医に開業許可を与えるつもりでございます。もちろんだからと言って、その女房が殿の前で裸身をさらすという保証はありませんんが....。会員の間に根強く残っている例の『噂』の力に期待するしかありません...」
 爺の話を聞き終えた男は、深いため息を吐くと、哀れな表情で湯舟にぶくぶくと潜ってしまうのであった。

(2) 

 歯科医.茂呂清作(34歳)は抽選に当選し、欠員が出来た以下川市に開業できることになった。以下川市に開業を望んでいる多くの歯科医師達は茂呂の幸福を妬んだ。
 茂呂自身は、ほとんど以下川市の内情は知らなかった。ただ、歯科医数の制限をしているということは、理論的には永続的に患者の絶対数が保証されている、とうことになるわけだ。その点は心強かった。
 もちろんそれは理屈の上のことであり、患者を獲得するための厳しい競争があることは、どこも同じのはずである。その競争に一度破れた経験のある茂呂は、決して幸運に溺れているわけではなかった。『現状はどこも厳しいのだ』と厳しく考えていた
 その考えが誤りであることに気づいたのは、開業を間近に控えた、以下川市新入会員歓迎の宴席であった。
 茂呂は宴会に出席している以下川市歯科医師会会員たちの醸し出す、なんとも言えないダラけたムードに驚いた。全員、緊張感のない弛緩した顔をしているのである。
 これは一体、どうしたことなのか?
 他県の歯科医師会の集会では、不況の影響や患者数の減少のため、ピリピリした雰囲気が年々色濃くなっていたものだが。
 隣席になった初老の歯科医に、それとなくたずねると、初老の歯科医は
「ええ〜!何も知らずに以下川市に来たの〜!!」
と、大いに驚いた。
「君!ということは、もしかして『
お殿様』のところに挨拶に行ってないんじゃないの?」
「お殿様?何ですかそれは?」
 初老の歯科医は「呆れ果てた」という表情を作りながらも説明してくれた。それは茂呂が想像もしていなかった、独特な歯科医療形態であった。


「以下川市は、その昔、院宝家という領主に独裁支配されていた。近世に入っても院宝家に対する年貢の習慣が残っていたらしい。これは一度決まったことは決して曲げないという
『以下川気質』と呼ばれる市民の特性によるものであった。大変律儀だが、悪く言えば『全く融通がきかない』ということだ。近年、さすがに年貢というものは無くなったが、院宝家に対する市民の服従は続いていた。先代の院宝法系という人は、立派な人で、歯科医院のなかった以下川市のために歯医者になった。それまで以下川市民は歯が悪くなると、よその町まで出向いていたわけだが、法系先生の英断に感激して、市民全員が『院宝歯科』にかかるようになった。時が流れ、以下川市にも歯科医院が増えていった。そのほとんどは、院宝歯科の勤務医が、独立したものであった。しかし院宝家への服従心と法系先生への恩義、そして『以下川気質』のために、以下川市民は決して新規開業の歯科には行こうとしなかった。院宝歯科をはなれなかったのだ。しかし全ての患者を院宝歯科だけで診ることは、医療の進化にともなって困難になってきた。それにこのままでは『のれんわけ』した歯科医たちが生活できない。で、法系先生は一計を案じた。それが『患者配給制』だ!」
「患者配給制?」
「患者はまず院宝歯科にやってくる。院宝歯科は患者に紹介状を発行する。紹介状には以下川市内の開業医の名前が書いてある。患者は院宝家の紹介ということで、喜んで他の歯科医院にかかるわけだ。」
「?????」
「よくわからんかね?つまり我が以下川市では、院宝歯科を通じて、どの診療所にも同数の患者が配分されるのだよ!そして院宝歯科は、我々の新療報酬の4%を搾取するわけだ。いや搾取なんて言ったらバチがあたる。まあ、とにかく我が市にいる限り、患者で苦労することは皆無ということだ!」
「そ、そうだったのですか!全然知らなかった!」
 茂呂は天国に来た気分になり眼を輝かせた。しかし初老の歯科医は
「でもねえ.......」
と、続けた。急に表情が曇り、声が小さくなった。
「でもねえ、先代の法系先生のときは何も問題はなかったんだよ....。問題は今の『お殿様』
院宝疎松先生になってからだよ.....。どうもねえ、患者が均等に配分されてないんじゃないか...という噂が出ているのだよ」
「え?患者数が違うのですか?」
「いやいや。数は均等なのだけど、....。ほれ、患者の質というか......金持ちとか、そうでないとか.......そういうのに偏りがあるんじゃないか、という噂が出ているんだよ」
「そうなんですか?詳しく教えてくれますか?」
「いや、これ以上は言えない。......恐れ多くて.......。とにかく一度、お殿様には挨拶しなきゃだめだよ」
「そのお殿様は、こういう宴席には顔を出さない方なのですか?」
「ウン。あまり人前には出たがらないお人なんだ。まあ色々あってねえ.......」
 どうもはっきりしないところもあるが、なんとなくわかってきた。
 この市の歯科医師会はあまり機能してないようだ。患者に困らない環境ゆえに歯科医師会は単なる親睦団体のようなものになっているのだろう。
 この市で最も重要なのは、患者を一手に握っている「院宝歯科」である。それは絶対的な権力を持っているようだ。この権力に甘んじていれば、歯科医達は何不自由なく生活することができるわけだ。
 だが、どうもこのシステムにひずみが生じてきているらしかった。

(3) 

 次の日の晩。茂呂清作は、『お殿様』こと院宝疎松に挨拶するため院宝歯科に出向いた。
 院宝歯科は以下川市歯科医師会館の裏にあるという。
 歯科医師会館はすぐに見つかった。歯科医師会館は、この幸福な街では、ほとんど機能していないため、薄汚れて人気がなかった。まるで廃屋のように陰気で朽ち果てていた。
 しかし、めざす院宝歯科はなかなか見つからない。会館の周囲をグルグル廻ってみたが、それらしい建物がない。
 しかたなく道を往く人に「院宝歯科というのは、どこにあるのですか?」ときいてみた。
その通行人は『院宝』という言葉を聞くと、ハッとあらたまった。そして茂呂の背後をうやうやしく指差すではないか。振り向いた茂呂が見たものは......
「なんだ!銭湯じゃないか!」
 そこにある建物は、どう見ても銭湯だった。とても歯科医院とは、思えない。入り口は男女別になっており、それぞれに『男』『女』と書かれた暖簾がかかっている。しかも天空高くそびえる巨大な煙突もある。これが歯科医院のはずがない。
 しかし、これこそ以下川市の全患者を手中におさめる『院宝歯科』なのである。
 既に診療時間は過ぎているので、患者らしい人の出入りはないが、まだ内部には煌々と明かりが灯り、どういうわけか巨大煙突からは黒い煙がモクモクと吹き上がっている。
 『男』の暖簾をくぐると、中にはハッピを着た番頭のような男がたっていた。年令は60歳ぐらいだろうか、黒ぶちの眼鏡の奥に、陰険そうな目が光っている。
 茂呂は恐る恐る尋ねた。
「あの......ここは『院宝歯科』さんでしょうか?」
「いかにも」
「こ、今度開業することになりました茂呂といいます。遅くなりましたが、御挨拶に参りました。」
「おお、そうでしたか。それはそれは。『お殿様』は御入浴中でございますので、今しばらくお待ち願いたい。」

 茂呂は豪華な客間に通された。客間に行くまでに、ちらりと『診療室』と書かれた部屋を見ることが出来たが、それは治療設備を備えていない、ただの事務室のような感じであった。どうやら院宝歯科が、患者の紹介業だけで成り立っているというのも真実のようだ。
 お殿様はなかなか出てこなかった。やや場の雰囲気にも慣れた茂呂は、番頭男に
「以下川市が、このような独特のやり方をしているとは、知りませんでした。開業準備に追われているということもあるのですが、お......お殿様.....に御挨拶を忘れるところでした。本当にすみませんでした。」
と言った。すると番頭男は『ははは......』と笑い
「いや、別に挨拶などしていただかなくとも、あなたはもう以下川市のシステムに組み込まれておりますゆえ、黙っておっても、患者は配給されるのでございますよ。」
と言った。茂呂は、その言い方に何か高圧的なものを感じた。
「あの.....診療報酬の4%をこちらに払い込まねばならない、と聞いたのですが......」
 番頭男はギロリと茂呂を見て
「御不満かな?」と言う。
「その
お礼制度は、歯科医師会が決めたことです。私どもが強要したわけではない。私どもは歯科診療は行っていない。患者が来ても収入はないのです。そもそも現在のお殿様は歯科医師ではないのです!」

(4)

 茂呂は我が耳を疑った。以下川市の全ての患者を掌握する院宝歯科の院長院宝疎松が歯科医師免許を持っていないとは!

「以下川市民は今でも慣例でここのことを『歯科』と呼びますが、実は『歯科』であったのは先代までで、現在は『歯科』という看板は降ろしております。ただ患者を各診療所に分配するだけの業務ゆえ、お殿様が歯科医師である必要はないわけで.......。」
 そうだったのか。確かに入り口には『歯科』という文字はどこにも書かれていなかった。それゆえ茂呂は、ここがなかなか発見できなかったのである。
 茂呂はさらに質問した。
「何故ここは風呂屋のような門構えなのですか?」
すると番頭男は、非情に厳しい表情で茂呂をにらみ付けるではないか。番頭男はこの質問には一言も答えない。しかしその表情には『
詮索するな!若僧!』という無言の怒りが感じられた。気まずい雰囲気になり、茂呂は少し後悔した。どうやら、これ以上は何も聞かない方がいいようだ。
 その時、客間の奥のふすまが開いた。お殿様こと院宝疎松が風呂から出てきたのだ。
 番頭男は、さっと正座してお殿様に一礼した。しかし茂呂は、あんぐりと口を開けたままお殿様の姿を凝視するしかなかった。
(こ.....これが『お殿様』)
 お殿様と言うからには、かなり威厳のある容姿を想像していたのだが、そこに立っているのはひょろひょろに痩せた貧相この上ない中年男だったのだ。長くしまりのない顔に極端にはなれた垂れ目。焦点の定まらない眼球。低い鼻。口角の下がったオチョボ口は、だらしなく半開きである。
 年令は40は超えているようだが、その顔つきは、子供のようにも見えた。苦労をしてない顔である。
(これが『お殿様』だって......)
茂呂は少し腹が立ってきた。
 お殿様は、茂呂の顔を見て『へらへらへら』と笑った。その気の抜けた笑い声......。しかも先ほどまで入浴中だったため、頭髪から湯気が『ほわ〜ん』と立ち上り、なんともしまらないこの男のキャラクターをより特徴づけている。
「今度開業することになりました茂呂清作です。よろしくお願いします。」
茂呂は無性に腹が立っていたため、挨拶の声とその表情に、少し怒気を帯びていた。お殿様は、その怒気を敏感に感じたのか
『何、怒ってんの〜〜〜〜』
と、また、脳天からぶす抜けているような情けない声を出した。
「べ、別に怒ってなどおりません!」
と、茂呂はすぐに訂正したが、お殿様は、にや〜と笑い、番頭男の方を向いて
「いや、怒っとる。なあ爺。こいつは怒っとるなあ」
と言った。爺と呼ばれた番頭男は慌てて
「いや、この人は怒ってはおりません。ただお殿様の前で緊張しているだけでございます」
と言った。そして茂呂に激しい口調で言った。
「これ!お殿様に向かう時はもっと厳かな気持ちになるものですぞ!」
お殿様は、真剣なのかふざけているのかわからないような様子で
『そうじゃそうじゃ』
とあいづちを打った。
 茂呂はもう我慢できなかった。もともと短気な方で、それでずっと失敗してきたのだが、こんな阿呆らしい状況に迎合できるほど柔らかい人間ではない。
『何だ!あんたらは!』
と大声を出してしまった。茂呂はもう完全に切れていた。こうなると誰にも止められない。
『何がお殿様だ!患者配給制だ!そんなバカな話があるものか!俺は自力でやる!紹介患者などいらん!そういうやり方に反発を感じている患者だっているはずだぞ!』
 番頭男は顔を真っ赤にして茂呂を制した。お殿様は突然のことに青くなって震えている。
「やめなさい!お殿様の前で何と言うことを!ここは以下川市ですぞ!普通の街とは違うんですぞ!郷に入れば郷に従え、というでしょう!みんなこのやり方に賛同しておる。あんたが一人で大騒ぎしてどうなる問題じゃないんですぞ!」
「そうじゃそうじゃ!」
もちろん茂呂の怒りはおさまらない。
「俺が言いたいのは、この志村けんの馬鹿殿様のような男が、全ての元締というのが『嫌』だってことだ!歯医者でもないのに歯医者の上に君臨し、偉くもないのに患者を握っている、ということが『嫌』なのだ!ただの親の七光りじゃないか!顔を見ただけで、こいつの内容は全部わかるぞ!いったい歯科医師会も何を考えているんだ......。こんなアホ面の男に小判ザメのように貼り付いて、ヘーコラして。収益を搾取されて、なんで黙っていられるのだ!そんな歯科医師会は小判ザメ以下だ。サナダ虫だギョウ虫だ!」
 いつのまにか以下川市歯科医師会批判になってしまったが、とにかく言いたいことをぶちまけた茂呂は、持続する怒りの片隅で(どうしよう......)と、後悔していた。
(また悪い癖を出してしまった。とんでもないことを言ってしまった!)
 お殿様は、自分のことを『阿呆』呼ばわりされて『しくしく』と泣いていた。お殿様は泣き声で『こんなに馬鹿にされたのは、うまれて二回目じゃ。一回目は奥方.......』と意味深なことを言った。それは茂呂には聞こえなかった。

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